サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

泉佐野市 ふるさと納税で支援金

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて、大阪・泉佐野市がふるさと納税を通じて集めているウクライナへの支援金が、開始から1週間で4000万円を超えました。
 泉佐野市は、ふるさと納税を通じてウクライナへの支援金を集める取り組みを今月4日から始めています。
 取り組みを始めてちょうど1週間の11日正午時点で1155人が寄付し、集まった支援金はあわせて4145万円あまりにのぼりました。
 市によりますと、中にはおよそ300万円の支援金を寄付した人もいるということです。
寄付は市が運営するふるさと納税ポータルサイトで一口2000円以上から受け付けていて、寄付への返礼品はありませんが、税金の優遇措置を受けられるということです。
    NHK NEWS WEB https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220312/2000058802.html

 泉佐野市は「ふるさと納税」という、バカげた制度を茶化しているようで、関心を持っていました。ふるさと納税なんて、返礼品などをエサにいかに多く集めるか、という自治体を競争原理に巻き込んだだけ、じゃないの?と不信感しか持っていません。

 今朝、上記のニュースを見ました。「エッ、納税で支援金。何なのそれ?」というのがそれへの感想です。支援金を寄付するのも納税するのも推奨されています。しかし、それをリンクさせては(禁止されてはいませんが)ダメだと思うのです。違和感を持ってしまうのです。

 それは私が、様々な自治体や企業・機関でも支援金は受け付けていますが、ここが重要なのですが、それらは全て「支援金」として受け付けているのです。対して泉佐野市は、いかなる名目であろうと「税金」を受け付けているだけです(返礼品は良心的行為ができたこと)、と受け取ったからでしょう。上記の引用にあるように、税金の優遇措置を受けられます、としてます。しかしそれは、「寄付金控除」とは違うのでしょうか。

 機関・企業・自治体での、支援金の取り組みについて整理してみましょう。機関とはユニセフなどの公的機関やNPOなどの団体のことで、何らかの目的のために支援金の寄付を必要としています。だから、よりよい活動を行うために、寄付のお願いをする必要もあります。企業などの場合は、私たちが寄付をするのと同じ心情からだと思います。個人では困難な、呼びかけ、集め、届けることがスムーズにできます。自治体は企業と同じように臨時的に取り組みますが、窓口の多さに特徴があります。そして、紹介はしていますが、呼びかけはしません。このケースだと、自治体が企業の土壌に参入しているようなものです。

 ウクライナの状況に心痛めるのは「人ごとである」ように、見過ごせないからです。だから、ウクライナへ向けて支援金を寄付することは、正当です。しかし、そのお金は武器の手配にも使われる可能性があるものだ、ということを考慮していなければ、倫理的であるとは言えません。

 繰り返しますが、支援金を寄付しているのではなく、納税しているのです。寄付するのなら、「ふるさと納税関連サイト」を閲覧(SNSかな)して見つけるよりも、もっと身近な手段があります。それには、身近な自治体や支援の目的への賛同、よく知っている企業やプラットフォームなどなど、自分との「親しみ」という接点が重要ですから、寄付の手段も「どのようにすべきか」を自問するべき、ではないでしょうか。

 善き事に基づいているならば、それだけで良いのではありません。もっと慎重かつ謙虚に処さなければいけません。

 

「利他」とは何か 國分功一朗による

 國分は中動態の概念に関心を持ったのは、近代的な主体性を批判していた「ポストモダン思想」に強く惹かれていたからだ、と述懐しています。そのポストモダン思想ですが、一九八三年の出版である浅田彰の『構造と力』で、難解な思想をチャート化して、同書を手引きとすることで身近に感ぜられるようになりました。いわゆるニューアカブームが、それをきっかけに起こりました。そして、翌八四年に『逃走論』が出版されます。ここで浅田は近代的な主体性(アイデンティティですね)や社会での支配的な価値観にしがみつくのではなく、そこから「逃げろ」とのメッセージを発していました。今から思えば、それは「疑え」だったのですね。

 ポストモダン思想では〈主体の能動性を疑う〉側面が大きく、それの否定的側面を表面化させることで、〈受動性がしばしば強調〉する傾向にあったとしています。しかしそれは、能動と受動の対立の中での〈力点の移動〉であるにすぎず、〈能動と受動の対立そのものから脱却しなければならない(今あるものを全否定して、新たなものを打ち立てると、往々にして、極端と悲惨がもたらされます)〉、つまりそのシステムを〈脱構築〉しなければいけない、との指針をしています。

 では、能動(する)と受動(されられる)とは明確に区別できるのでしょうか。ある行動は、自らがとった行動であるが、自由意志ではなく様々な要因でそう行動した、ともいえるわけですから、〈自発的かどうかなど分からないのです〉。「八つ当たり」を思い浮かべると分かりやすいでしょうか。

 整理すると、「能動なのか受動なのか」には〈自分の意志でやっているか、そうではなく強制されているか〉という意志がかかわっています。その意志の働きとは、少年がお茶碗を割ったことを例として挙げています。それは母親に叱られて腹が立ったからで、母親は夫婦ゲンカ、父親は上司に叱られて、と因果関係はどもまでも遡《さかのぼ》れます。しかし私たちは、この〈因果関係を意志の概念によって切断して〉、〈始まり〉を創出します。つまりそれは、その意志を取り入れることで成立した〈「能動的な主体としての個人」という近代的概念〉が〈責任を社会的に存在せしめるために〉〈必要とされたわけです〉。

 かようにいい加減な「意志」を基準とする「能動・受動」というものが、「中動」を参照することで、その対立は「脱構築」されると言います。

 その中動態とは「水を欲する」という例で説明されています。水への欲求ですね。能動態は「する」ということを指すので、これが能動態なら、「水を欲することをする」になり、意識して水を欲しくなる、という不可能な状態です。〈動詞の名指す過程が自分の外側で完結〉するのではないのです。「水を欲する」とは〈私のなかで水への欲求が高まっていて、私はそれに突き動かされており、むしろ受動的とすら言えます。水を欲するという過程が私を場として起こっている〉のです。それは『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院 2017)で〈受動態はずいぶんと後になってから、中動態の派生形として発展してきたものであることが比較言語学によって、すでに明らかになっている〉と説明されている受動的なものです。

 この中動態を参照することで、能動・意志にとらわれていた「責任」の概念がそこから解放される、と言います。國分による説明を私なりの解釈で示します。

 ソフォクレスの『オイディプス王』というギリシア悲劇があります。「自分の父を殺害し、母を娶《めと》り子をなす」という神託された運命にさらされ、自らの出自を知ったオイディプスは運命によってアイデンティティを狂わされてしまい、自らの目を潰し、彷徨い没落してゆく、という物語です。

 ここには「神的因果性」と「人間的因果性」があると言います。「神的因果性」とは神託された運命のことで、人はそれに巻き込まれるだけの被害者です。「人間的因果性」は、父を殺害したり、目を潰したりといった人間が為《な》した加害者としての「行為」です。普通、責任というときには人間的因果性のみの側面からしか見られません。

 しかし人間的因果性であっても、その因果性はお茶碗を割った少年のケースのように、どこまでも遡れます。ということは、「始まり」は不可知であり、それは神的因果性=運命とするしかありません。少年は、お茶碗を割りたいと欲するから割ったのではないのです。しかし、お茶碗を割るのは悪いことですので、その行為の責任は少年に帰せられ、叱られてしまいます。それで終わりです。罪を犯したので罰せられただけです。これが普通に考えられている責任のあり方です。罰を念頭に罪と向き合っているのです。罰する側と罰される側、という構図です。罪を無色透明化している、と言ってよいでしょう。

 罪=悪であるとの自覚がなければいけません。悪人正機説を参考にすれば分かりやすいです。自ら善であることができない、煩悩から離れられない私たちは、心ならずも悪を犯してしまう、それは抗えない運命なのです。それは「宿業」なのです。そんな煩悩具足のわれらは、弥陀の他力にすがる(念仏をとなえる)ことで往生できる、それは悪を為した私がそのうえで念仏を唱えるからこそ救われるのです。他力にすがることで、悪と向き合っているのです。間違っても、悪を行っても、往生になんの差し障りはないとする「造悪無碍」・悪人を往生させるのが、弥陀の本願なのだから、それを誇って悪を行うという「本願ぼこり」などでは決してありません。

 罪自体だけに向き合うことで、罪は私の中に留まり、そこからの表出が「責任」となるのです。これが被害への応答である、と言っています。この応答としての責任は「義」に近いものだ、とも述べています。そして責任は罪への対応だけではないのです。國分は新約聖書の「善きサマリア人の譬《たとえ》え話」を想起しています。多くの人は眼の前に本当に困っている人がいれば、自分に実害のない限り手助けしようとします。そのとき私の中に生じた「何か」が応答して「手助けする」ことを欲しているのです。

 今回は「利他」は出ませんでした。

国際女性デー

 昨日、三月八日は「国際女性デー」です。どうでもいいことなのですが、古い人間ですので、この「デー」という表記には馴染めません。当初「デー」とは何か分かりませんでした。発音としては正しいのですが、「デー」と表記されているとなんだか間抜けな感じがして……。「デイ」のほうがシックリ来るのです。

 さてその「国際女性デー」ですが、まず、ジェンダーギャップ指数での、日本のランキングの低さが以前から問題視されていることが頭に浮かびます。本当は女性が快適に生きてゆくためには社会の「質」が変わらなければいけない、と考えているので、ジェンダーギャップ指数自体はさほど評価していません。しかし、明確な数値化(これは男性的論理かも)・わかりやすい目標としては評価できます。実現しやすくなります(いつまでたっても向上できないのは、真剣に取り組んでいるとは思えません)。量が増えれば自ずと質も変化するものです。

 この指数の評価は保健・教育・経済・政治の分野でなされています。このうち健康と教育は多くの国で高いレベルでの男女平等が実現されており、高得点の国々では点数に差が付きにくい、日本は高得点の側に属しています。しかし、経済と特に政治の分野でのランキングが低いのです。そのうち経済の分野は労働参加率・同一労働同一賃金・所得・管理職・専門技術者の男女差を数値化します。これの前二点は全体にかかわるものですが、後三点はいわゆる上位に属する層でのあり方、が大きな要因となります。そして、政治も後者に属すると考えていいでしょう。日本のランキングが低いのはこれらの層での男女格差にある、と言われています。社会で男性と伍して活躍している女性が少ないのです。しかしそれは、ごく一部の女性にとってのものでしかなく、多くの女性とっては別世界の社会のようなもの。富裕層を伸ばせば、やがてすべての層に、と言っていた「トリクルダウン」が連想されます。

 多くの女性は、身体の強度と言ったらいいのでしょうか、それが相対的に低いですし、生理そして、妊娠・出産の可能性が伴う「生」を生きます。これは今の社会で活躍するには不利益となるもので、特別な才覚を持たない限り、不利な立場におかれてしまいます。そのような多くの女性が活躍できる社会は、男性である私にとっても生きやすい社会だと思うのですが、男女ともに、男尊女卑の価値観を持つ人や今の地位を謳歌しているイケイケの人たちの層には不評かもしれません。その人たちは現状維持を望み、その範囲での改善を望みます。どうも先に述べたように、「量が増せば質も変わってくる」という手段しかなさそうなのかもしれません。

 今の社会の傾向は、主張することに価値があり、峻別的であり、序列をつくりたがります。課題を見つけ出し、問題化して解決を目的とします。ならば「(一部に収まらない多くの)女性が活躍できる社会」は逆を考えればいいわけです。聴くことに重きを置いた関係、融和的であって、立場は固定化されず、ケースによって入れ替わる、垂直ならぬ水平志向ですね。問題は解決ではなく解消を(問題は認識され共有されれば、解消まであと一歩なもの)、という社会でしょう。

 今、ウクライナで起こっている惨劇を引き起こしたのは、今の社会の価値観から導かれた極端であり、それへのノスタルジーなのでしょう。それが「あだ花」となって一日も早く散ることを望みます。

学生時代の意義

 三月一日に「就職活動」が本格的にスタートしました。ニュースを見ていたら、いくつかの内定をもらっている学生が、説明会なのでしょう、その会場で他の企業との接触を求めている旨の発言がありました。もっと早くから活動していたのでしょう。就職活動があまりに早く始め過ぎた弊害のため、決められた協定なのでしょうが、はじめから形骸化しているようです。

 私が大学を卒業したのが1983年でして、当時の就職活動の解禁は、10月だか11月だったように記憶しています。というのも、真剣にはに就職活動をしておらず、卒業論文を提出してから、2~3社くらい面接に行っただけでした。履歴書を書いて、面接で自己アピールをして、いったい「何をやっているのだろう」と思い、白けた気分になりました。ふざけてますよね、本当にそうです。高校・大学と入学式にも卒業式にも出席せず、成人式なんて知人のうちでは、女の子が何人か出たくらいでしたから。こんなの私の周囲だけだったかもしれませんが。で、就職はいくつかアルバイトをしていたらいつの間にか、という感じだったと思います(そのあたりの記憶は曖昧です)。同じような時期(卒業が決まってから)に就職活動を始めた人たちの数人は、名の知れた、いわゆる大企業に就職しました。なんとものどかな時代でした。

 新卒一括採用とか入社式(コロナ禍で今は実施されてないようですが)というと、つい、高度成長時代の「金の卵・集団就職」を連想してしまいます。農村部の中学卒業者が、集団で列車に乗ってきて工場へ、というものです。当時の上野駅での映像は今でもたまに見かけます。高卒・大卒者も含めて終身雇用で、じっくり人材として育ててゆく、そして帰属意識と結束、という価値観であったと思います。

 もはや、そういう価値観で何とかなるような時代ではありません。なのに一括採用とか入社式です。企業による「囲い込み」と「囲みこまれたい」学生があって、紳士協定は国際法と同じで機能していません。「これはよくない状態だ」と心に引っ掛かりがあって(そう思いたい)、しかしそれを見ないことにして、仲間から離れないように流されているだけ、としか思えないのです。

 学校を卒業して間を置かずに勤めなくてはならないのでしょうか。数カ月かけて就職先を見つけるのではだめなのでしょうか。企業は入社の手続きもあるので、その都度、というわけにもいかないだろうが、年に何度かの採用というわけにはいかないのでしょうか。今の就職風土を考えるとむつかしそうです。

 新卒一括採用が実施されないと、困るのは新卒者であるとも考えられます。今は新卒者のライバルは新卒者だけですが、それにキャリアアップを図る中途採用者という強大なライバルとも対しなくてはならなくなるからです。いうなれば、新卒者はそれに保護されているのだ、ということです。

 有効求人倍率は1を超えており、転職者は新卒者と比べたら少数でしかないでしょう。あとは「キャリアアップ」や「いつからでもやり直し」が可能な緩やかな規範・意識の整備でしょう。

 学生時代には実社会に直接に役に立たないような学問や利害を度外視した人間関係の構築など、そのときにしかできないことが多くあります。それを削ってまで、就職活動などはするべきではないと思うのです。あえてそれへ取り込まれてしまうのは、冷静に考えれば、将来への不安という「横一線」幻想に取りつかれているからではないでしょうか。

 重要と思いますので、付記でバートランド・ラッセル『怠惰への讃歌』での塩野谷祐一による平凡社ライブラリー版解説「怠惰礼賛」より引用します。

 ラッセル自身、名門の貴族の家系に生まれたが、イギリスの世襲的な有閑階級は狐狩りのほかに知的な活動を知らないと酷評する。閑暇を知的に使うセンスを養うためには、教育が必要である。学校(school)という言葉の語源はギリシャ語のスコーレであり、その意味は閑暇(leisure)である。学校で学ぶということは、労働でなく閑暇を意味する。そして学校は本来、労働のための技術を学ぶところではなく、閑暇のあり方を学ぶところである。 (スコーレのギリシャ語表記は略しました)

 

選択的夫婦別姓などなど

 二月二十四日のNHKおはよう日本』で「"夫婦の姓"どうするべき?」という報道がありました。その中で、夫の姓で夫婦となったカップルがいったん離婚し、妻の姓を名乗ることを選択し直したケースが紹介されていました。じっくり見ていたのではないのでわかりませんが、当事者にとっての事情があったのでしょう。そして国会では、選択的夫婦別姓について公明党や多くの野党は導入に前向きな姿勢を見せていますが、自民党の一部には慎重な立場の議員おり、「別姓では家族の絆が失われる」「旧姓の通称使用の拡大を目指すべき」などの意見が出ている、と伝えられていました。 

 以前から「夫婦別姓」や「同性婚」など婚姻のあり方が大きく取り上げられていました(こんなに問題が表面化しているのに議論にさえ至っていない。なんという国なんでしょうか)。今ある規定はご存じのように、憲法第24条「婚姻は、両性の合意にのみ基づいて成立し……」、民法第750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」になります。

 憲法では成立時に同性婚は想定されていなかったため、「両性」となっています。また民法では「姓」ではなく、あえて「氏」と表記されています。これが重要な点です。両性についてだけ述べますが、たとえば、柿が二つあってその両方とも食べる場合、柿として同じものですよね。同じように考えれば、同じ「性」が二つあってその両方で、と考えることもできそうです。

 問題視されていてそれをふまえた上でも、あえて、婚姻は「異性間で同一の姓を称すして成立する」と考えています。以下に、遠藤正敬著『戸籍と国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店 2013)を参照します。

 ……氏はあくまで戸籍編成の単位としての「家」の呼称なのであるから、佐藤、鈴木、田中といった苗字は星の数ほどあるが、これらは同音異字の呼称であっても氏《傍点》としては同一ではないのである。
 すなわち、氏は「血統」と「家名」を表示する意味を持つものであり、「名」と違って自己の意志と無関係な事実によって定まることを本質としている。 (49頁)

 一応、氏=姓であるとして話をすすめます。苗字とはたとえば、山本さんちの花子さんという場合の「山本」で、個人の呼称であるから「やまちゃん」などと呼んでも構いません。しかし氏は、先祖代々の家名ですから、意志の介在する余地はありません。では氏を強制する戸籍とはなんでしょうか。

 戸籍は個人に対する登録の強制という権力関係を前提とするものである。だが、……個人の自発的な服従を喚起することが支配の安定につながる。……
 ……すなわち、戸籍は何より人民統制の道具であるが、これによって「社会の幸福」が保障されるという恩願的な機能が伴うべきものという理解があったといえる。
 ここにおい戸籍は、国民に対する警察的装置から市民権の保障をもたらす恩願的装置へと主要機能を転換し、単なる身分登録にとどまらない、さまざまな社会関係における構成原理の源泉となっていったのである。 (12・13頁)

 と適切に説明されており、(同一)戸籍の恩顧的装置の成立とその特権化の強調をあえて指摘しています。ここにある人民統制の道具としての戸籍はまず軍によって提案されました。

 1875年(明治8年陸軍省は、兵籍への登録を確実にするためにすべての人民に苗字を使用させることを建議し、これを受けて明治政府は、2月12日に太政官指令第22号によって、苗字の使用を権利から義務に改めた。兵籍の基本資料となる戸籍において、、徴兵適応者の識別を徹底する目的から苗字使用が強制になった。かくして苗字は、「戸」すなわち「家」の名称として同一化及び常用を強制されることで、戸籍名としての「氏」へと変貌していった。  (51・52頁 要約)

 あくまで管理・統制するものとして、が第一です。この時点では国民は戸籍によって管理され、恩顧を受けることができただけであって、〈家系を示すという氏の役割が優先されたため〉「夫婦同氏」ではありません。

 1898年に成立した明治民法は……、第746条に「戸主及び家族は其家の氏を称す」と定め、「一家一氏」を原則として打ち出した。 (54頁)

 1898年は明治31年です。ここにある自民党議員たちが主張している「同姓であれば家族の絆がうまれる」なるものの原型が成立したのです。たった120年ほど前のことです。そしてそれは「婚姻」制度に大きな影を落とします。

 日本における婚姻は「家」同士の"結婚"だが、フランスでは、氏は個人の権利として保障され、妻は婚姻後も夫と同一の家族を構成するものとはされず、夫の氏を使用することは"権利"として認められているにすぎない。  (56・57頁 要約)

 最近は個人名の場合もあるそうですが、結婚披露宴へ行くと「○○家・××家披露宴式場」なんて掲げられているのが今でも多いのではないでしょうか。まさに、家と家を取り結ぶものとしての婚姻ですね。

 政略結婚などのお家のための婚姻、はては、無文字社会でのインセスト・タブーと婚姻に関するレヴィ=ストロースの見解があります。女性は他の親族集団とのつながりを機能させるために、婚姻のかたちをとって母集団から他集団へ移る。だからインセストがタブーとして規制された、というものですね。すべて「お家」を頼りにした婚姻です。氏を基盤にする婚姻制度は、無文字社会のものにも通底するものがあります。

 いまでは婚姻や家族は、戸籍によって保障され恩顧を受けるだけのもの、としての存在価値しかありません(あるいは円満な夫婦や家族といった夢想?)。保障や恩顧は戸籍(ひいては家)から解放されなければなりません。そうなれば「同性婚」や「選択的夫婦別姓」なんて問題にならないでしょう。結婚するメリットはないのですから。ただ権利として「同姓婚」(そんな用語はないでしょうけれど)は認めなければいけません。

未完の民主主義

 民主主義サミットとはWikipediaによりますと、

 2021年12月9日から10日にかてアメリカ大統領ジョー・バイデンが主催した、Web会議形式の仮想サミット。 目的は「国内の民主主義を刷新し、海外の独裁国家に立ち向かうためとされた。主題は「権威主義からの防衛」「汚職への対応と戦い」「人権尊重への推進」の3つであった。109の国家と2つの地域が招待された一方、中華人民共和国ロシア連邦などの国が除外された。

 2つの地域とは台湾と欧州連合です。そして、このサミットには多くの批判が伴っていた、と記憶しています。私は、次の二つの点で大きな疑問を持っていました。

 まず「民主主義」とは、対立を明確にするのではなく、少数者を取りこぼさずに「折り合い」をつけてゆく過程である、と考えています。それを掲げる会議に、招待するものと除外するものを選り分ける、というのは似つかわしくなく、あくまで参加を呼びかけるものでなければならないはずです。それでも、参加を拒否する側に対して、粘り強く交渉しても説得できなければ仕方ありませんが、排除はいただけません。そうでなければ、こちらは進んだ段階にあり、あちらは遅れているとして、まつろわぬ愚かな者を導くという、なんだか共産主義の前衛思想みたいな構図になります。

 そして、権威主義汚職と無縁であったり、人権尊重が成し遂げられている国が存在するのは寡聞にして知りません。これらはあくまで努力目標なのであって、現状がそうなのではありません。それへの同意を求めることへ、そして目標への軌道修正のためにも、外部を取り込んでゆくような形態が望ましかった、と残念に思います。

 権威主義汚職から離て、人権尊重を確立させるという「民主主義の価値観」は正しい。しかし、その価値観に賛同しない国も多くあります。ということは、私たちのものとされている「民主主義の価値観」は十分に成熟していない、まだまだ「途上にあるのだ」という認識が必要です。いや、いつまでも「未完の民主主義」としてあるのでしょう。

 私たちは、法による平等と基本的人権の尊重という価値観を共有している同盟、などと上から目線ではなく、それは成し遂げられていないと謙虚に現実を受け止めなければいけません。

 と、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の報を受けて、悲観的な展開になるのを恐れて、頭をよぎったことについて記しました。

 よく言われているように、テロ集団はあまりにも脆弱であるので、戦略の選択肢はほぼありません。しかし国家は強大で、自身を強引にでも正当化でき、戦略をめぐらすことに不自由はありません。ロシア国内でも抗議の声があがっている、との報道もありましたが、それもふくめて希望につなげてもらいたいものです。

 

ロシアによる「独立国家の承認」ってどういうこと?

ロシアのプーチン大統領は21日、ウクライナの東部2州のうち、親ロシア派が事実上支配している地域について、独立国家として一方的に承認する大統領令に署名しました。
ロシアがこの地域への影響力を一段と高めることに、欧米の批判がさらに強まるとみられます。

ロシアのプーチン大統領は21日、クレムリンで緊急の安全保障会議を開きました。

この中でプーチン大統領は、ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州の親ロシア派が事実上支配している地域について、ウクライナ政府側が停戦合意を守らずに攻撃を続け、治安情勢が悪化していると主張し、強く非難しました。

         NHK NEWS WEB2022年2月22日 7時59分

国際情勢について分析できる素養も情報もありませんが、一連のウクライナをめぐる事態は不可解で、当事者たちの意志から離れてしまい、現状にとらわれて後手後手に展開しているように思えてならないのです。

ウクライナについては、2014年に西側寄りの政権が誕生し、それをきっかけとしてロシアがクリミア半島を併合したときに、中公新書の黒川祐治著『物語 ウクライナの歴史』を読んだときに触れたくらいでしかありません。ちなみに所持しているのは2014年3月30日の3版で帯に「混迷するウクライナ情勢を知るための一冊 ロシアが影響下に置こうとするのはなぜか?」とあります。

同書によりますと、〈本書でウクライナ氏という場合、ウクライナ民族の歴史というよりも、ウクライナの土地をめぐる歴史という視点から書いた〉とありますように、ほとんどの時期は独立したものではなく、領有されていた土地という興亡の歴史です。その歴史を簡単に記せば、〈キエフ・ルーシ公国は、一〇~一二世紀には当時のヨーロッパの大国として君臨し、その後のロシア、ウクライナベラルーシの基礎を形作った。その点からすれば、ウクライナは東スラブの本家筋ともいえる。ところが、その後モンゴルの侵攻などでキエフが衰退したのに対し、いわば分家筋のモスクワが台頭し、スラブの中心はモスクワに移ってしまった。ルーシ(ロシア)という名前さえモスクワに持っていかれたのである。したがって自分たちの土地を表すのにウクライナという名前を新しく作らなければならないほどである。歴史のうえでもキエフ・ルーシ公国は、ウクライナ人の国というよりは、モスクワを中心とするロシア発祥の国として捉えられるようになった〉とあるように、エルサレムのように領有・帰属の問題にもつながりそうです。

そして、黒海に面して開かれており、豊かな穀倉地帯でもあります。

しかし、ソ連時代にはスターリンの推し進める「農業集団化」の強制によって、政治の支配下に置かれ、農民は弾圧され大きなノルマを課せられました。〈一九三〇年のウクライナ穀物生産は二一〇〇万トンと……一九二〇年代の二倍であった〉そして不作の一九三一・三二年は一四〇〇万トンでした。〈こうして飢饉は一九三三年春にそのピークを迎えた。飢饉はソ連の中ではウクライナと北カフカスで起きた。都市住民ではなく食糧を生産する農民が飢え、穀物生産の少ないロシア中心部ではなく穀蔵のウクライナに飢饉が起きたということはまことに異常な事態である〉という一九二〇年代よりも生産高が大きいにもかかわらず大飢饉である、という悲惨な事態もありました。

どうしても二国間にある確執はなくならないのでは、と思います。ウクライナも政情は不安定で、いくら欧米と近づきつつあるといっても、同盟までには程遠い状況だと思います。ロシアは西側諸国との「つなぎ」としてウクライナを位置づけ、じっくりと戦略的であればよかったのかもしれません。なのにプーチン大統領は、NATO参加という机上の危機のために強硬な態度を示しました。これで新ロシア派以外では「親欧米」へと流れが大きく鮮明に表面化された、と見るべきでしょう。

そしてロシアは、独立国家として承認したことによって、何かあれば「集団的自衛権」を行使する言いわけにもなります。対してウクライナは、ますます「親欧米」の傾向が強まり………、どうなるのでしょうか。動き出した歯車がそれだけで勝手に動き続ける、という事態にならなければいいのですが。

プーチン大統領ウクライナに対して「早い目にくぎを刺しておく」というメッセージだけのつもりだったのかもしれませんが、予想外の強い反発にあいました。こうなってしまってはメリットはどこにもなく、コストを払っているだけです。そんなことは為政者たちは十分認識しているはずです。ホント「国際情勢」って不可解です、いや、「集団的自衛権」かな。