サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

国際女性デー

 昨日、三月八日は「国際女性デー」です。どうでもいいことなのですが、古い人間ですので、この「デー」という表記には馴染めません。当初「デー」とは何か分かりませんでした。発音としては正しいのですが、「デー」と表記されているとなんだか間抜けな感じがして……。「デイ」のほうがシックリ来るのです。

 さてその「国際女性デー」ですが、まず、ジェンダーギャップ指数での、日本のランキングの低さが以前から問題視されていることが頭に浮かびます。本当は女性が快適に生きてゆくためには社会の「質」が変わらなければいけない、と考えているので、ジェンダーギャップ指数自体はさほど評価していません。しかし、明確な数値化(これは男性的論理かも)・わかりやすい目標としては評価できます。実現しやすくなります(いつまでたっても向上できないのは、真剣に取り組んでいるとは思えません)。量が増えれば自ずと質も変化するものです。

 この指数の評価は保健・教育・経済・政治の分野でなされています。このうち健康と教育は多くの国で高いレベルでの男女平等が実現されており、高得点の国々では点数に差が付きにくい、日本は高得点の側に属しています。しかし、経済と特に政治の分野でのランキングが低いのです。そのうち経済の分野は労働参加率・同一労働同一賃金・所得・管理職・専門技術者の男女差を数値化します。これの前二点は全体にかかわるものですが、後三点はいわゆる上位に属する層でのあり方、が大きな要因となります。そして、政治も後者に属すると考えていいでしょう。日本のランキングが低いのはこれらの層での男女格差にある、と言われています。社会で男性と伍して活躍している女性が少ないのです。しかしそれは、ごく一部の女性にとってのものでしかなく、多くの女性とっては別世界の社会のようなもの。富裕層を伸ばせば、やがてすべての層に、と言っていた「トリクルダウン」が連想されます。

 多くの女性は、身体の強度と言ったらいいのでしょうか、それが相対的に低いですし、生理そして、妊娠・出産の可能性が伴う「生」を生きます。これは今の社会で活躍するには不利益となるもので、特別な才覚を持たない限り、不利な立場におかれてしまいます。そのような多くの女性が活躍できる社会は、男性である私にとっても生きやすい社会だと思うのですが、男女ともに、男尊女卑の価値観を持つ人や今の地位を謳歌しているイケイケの人たちの層には不評かもしれません。その人たちは現状維持を望み、その範囲での改善を望みます。どうも先に述べたように、「量が増せば質も変わってくる」という手段しかなさそうなのかもしれません。

 今の社会の傾向は、主張することに価値があり、峻別的であり、序列をつくりたがります。課題を見つけ出し、問題化して解決を目的とします。ならば「(一部に収まらない多くの)女性が活躍できる社会」は逆を考えればいいわけです。聴くことに重きを置いた関係、融和的であって、立場は固定化されず、ケースによって入れ替わる、垂直ならぬ水平志向ですね。問題は解決ではなく解消を(問題は認識され共有されれば、解消まであと一歩なもの)、という社会でしょう。

 今、ウクライナで起こっている惨劇を引き起こしたのは、今の社会の価値観から導かれた極端であり、それへのノスタルジーなのでしょう。それが「あだ花」となって一日も早く散ることを望みます。