サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

増補感想2211 その5

 

 

(26)となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代
イスラムには確たる行動規範があるが、多くの日本人はそれを受け入れることができないので、仲間になることはできない。だから、私たちは「となりのイスラム」として接することしかできない。しかし、ヨーロッパを中心に、イスラム移民の問題もある。それは、夢を求めて移民したのだが、現実の厳しさにさらされ、よりイスラムとして純化してしまい、体制に敵意を持つようになって起こる分断により引き起こされる。これは良く知られた物語、そこでは、すべては米欧が悪いとなる。だが一番悪いのは、イスラム教徒が安心して暮らし、国家がイスラム的な公正や正義をおこなう、という理想を実現できない「イスラム教徒の母国」で、そのため過激派などが生まれてくる、としている。
読了日:11月27日 著者:内藤正典
https://bookmeter.com/books/11091371

 

(27)欲望の経済を終わらせる (インターナショナル新書)
新自由主義は政府にGDPの上昇を至上命令とさせる。そして、GDPは市場の活動によってもたらされるのだから、市場に適さないものまで市場化される。公的な財源によってまかなわれていたことまで、市場へと。それが財政削減へとつながり、福利は縮小し、あまねく行き渡らなくなってしまった。そのために、機能不全に陥っている家族と共同体を、セーフティネットとして復権させようとした、そのような能力は、もはやないのに。平成30年の調査では生活が苦しいのは国民の6割だったが、4.2%しか下層と認識していない。低所得者は貧困になるかもしれないという恐怖から目を背けようと、ギリギリ中流、という幻想にしがみつく、視線をより下層に向けて。切実なのに「反貧困」という言葉は他人事、とやり過ごされるのだ。そもそも、日本では労働人口にしめる公務員の割合は低く、企業などの労働生産性は低い。企業が多すぎるために、競争による利益の減少があり、人材を必要なところへ配置できなくなってしまっている。
読了日:11月27日 著者:井手 英策
https://bookmeter.com/books/15787798

 

(28)歴史の屑拾い
著者の祖父には兄がいて祖母の婚約者だったが、兄は戦死してしまい二人が結婚した。この大伯父が生きていたら私は存在していない、と自身の存在を絶対化しない。このような視線で、現在から過去の断片である歴史を拾い上げ、積みあげ、記述しようとする著者の姿勢に惹かれる、歴史は断片の、としてしかありえないのだから。それをはっきりさせる説明に、歴史との対比で裁判があげられており、同じく過去の痕跡を扱うが、裁判では決裁されるが、歴史の記述は次世代に受け継がれ閉じることはない。歴史研究者は歴史の断片を屑拾いのように集め、言葉とする。それらの言葉は偶然出会った読者の目に触れ、著者の手からこぼれ落ちてしまう。謝辞や註や参考文献が必要なのは、偶然の出会いの記録であり、それをたどることで、当該の歴史書の解体に役立つから。
読了日:11月29日 著者:藤原 辰史
https://bookmeter.com/books/20328682

 

(29)世界は「関係」でできている: 美しくも過激な量子論
量子は波であり粒子であるという相反する性質を持つ。波であるから場に遍在しているが、粒子として観測される。観測が量子に干渉しているからだ。その波としてのあり方が「量子重ね合わせ」と呼ばれ、ある対象がここにありながらあそこにもあるという状態。見ることで性質が変化してしまうのでそれ自体は見ることはできない、波であったという痕跡を見ているだけ、それの残した痕跡を見れば、波であると考えるしかない。それは、観測者も量子も自然の一部で、外から観測しているのではない、ということ。孤立した対象自体は確率論的傾向を持つ発現の可能性があるにすぎない(あそこにもここにも遍在している、存在はしていない)。しかしそれが関係・認識されることで、観察者との認識という関係が成立することで存在としてたち現れる。
読了日:11月29日 著者:カルロ・ロヴェッリ
https://bookmeter.com/books/18602221

 

(30)増補 魔女と聖女: 中近世ヨーロッパの光と影 (ちくま学芸文庫)
キリスト教の知による「公」支配の中・近世ヨーロッパに、相似として時を同じく、聖女と魔女が現れた。貧しくて教会の勢力外の世界に生き、そのためフォークロアの象徴とされ、悪魔に取り憑かれているとされた魔女と、神に取り憑かれたとされた聖女。取り憑かれた(と認められた)のが、悪魔か神か、の違いでしかない。主に女が取りざたされたのは、弱いからだを持つ者としての女への偏見があったからだろう。男の精神性に対する女の身体性、しかし、イエスは十字架で苦痛に満ちた死を迎えたことで人間の罪を贖ったのだから、霊的ではなく身体的であったといえる。苦痛がイエスのそれとリンクすることで聖女に甘美な体験をもたらす。フェミニズムの起源にクリスチーヌ・ド・ピザン(1364~1430)を置く、多くの作品を残し、女性史の分野を開いた者として。女性知識人の知の伝承だけでなく、世俗を含めた女性としての教会を経ない知の、女性から女性への受け継ぎ、それは、男女同権ではなく女性の存在を主張している、としている。
読了日:11月30日 著者:池上 俊一
https://bookmeter.com/books/9723301