サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

中国・ロシア・そしてウクライナ

 イギリスの外交官ロバート・クーパーは、国家の形態をプレ近代国家・近代国家・ポスト近代国家の三つに区分しています。*1

 名称だけでもわかりそうですが、クーパーの説明を要約します。プレ近代国家とは、正当に国家が暴力、を独占できていない不安定で脆弱な国家、としています。近代国家は、ナショナリズムと好戦的な性質、自国を保障する手段としての軍事、を有しています。そして、国内に対しても、外交政策と同等の監視、によって支配しようとしています。ポスト近代国家は、EUが典型です。国家の相互依存、国境を重視しない、という特徴があり、つながりの強化のために、国内問題にも干渉しあい信頼関係を築こう、という傾向を持ちます。

 しかし、現実には国家を、単純に三つのどれか、に当てはめるには無理があります、が分類として利用するには便利です。ただ、ロシアと中国は近代国家である、といえそうです。両国の特質は、近代国家と新自由主義にある、と思います。それに関連する出来事を年代順にあげてみましょう。

 まず、中国です。一九五六年、「百花斉放《せいほう》・百家争鳴」で、知識人による自由な発言をうながしましたが、党批判が強まり、弾圧・社会的地位の剥奪、という結果になりました。そのためか、一九五八年に、急進的な社会主義化で高度成長を成しとげようと「大躍進」という軌道を逸した運動で導こうとします、弾圧により、知識人不在ですから、経済に大混乱をきたすだけでなく、数千万人に上る餓死者を出しました。そのため、毛沢東国家主席を辞任します。一九五九年には、劉少奇《りゅうしょうき》が国家主席に就任し、軌道修正をはかり、回復のきざしを見せてきました。しかし、毛沢東は傍らで苦々しく見ており、一九六六年に悪名高き「文化大革命」を引き起こし、その凶事は毛の死の一九七六年まで続きます。それにより、経済が落ち込んだのを受けて、一九七八年、鄧小平《とうしょうへい》は「改革開放」の方針を打ち出し、「社会主義市場経済」という体制を採用します。*2イギリスのマーガレット・サッチャーが首相就任する前年です。

 ついで、ロシア。一九八六年、ゴルバチョフが不振なソ連経済などを含む態勢を立て直そうと、ペレストロイカを掲げ、西側的要素を取り込もうとしますが、それに取り込まれることになってしまいます。その結果が一九九一年の「ソ連邦の解体」です。それにより「ロシアでは、新自由主義的な〈ショック療法〉後に一握りの強力な新興財閥《オリガルヒ》が台頭し、一九九〇年代に同国を支配した」と、デヴィッド・ハーヴェイは述べています*3

 近代国家と新自由主義とのつながりですが、ハーヴェイの定義が参考になります。

 新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し、維持することである。例えば国家は、通貨の品質と信頼性を守らなければならない。また国家は、私的所有権を保護し、市場の適正な働きを、必要とあらば実力を用いてでも保障するために、軍事的、防衛的、警察的、法的仕組みや機能をつくりあげなければならない。さらに市場が存在しない場合には(たとえば、土地、水、教育、医療、社会保障、環境汚染といった領域)、市場そのものを創出しなければならない――必要とあらば国家の行為によってでも。だが国家はこうした任務以上のことをしてはならない。*4

 市場に任せておけば、すべてうまくゆくので、国家はそのサポートに徹すべきだ、ということですね。しかし、国家は様々な使命を持っていますので、新自由主義に忠実であるのは難しいのですが、強権的な「近代国家」では国家主導で実現可能となるでしょうし、日本が近代国家として成立するきっかけとなった日清戦争時、に山縣有朋が用いた「主権線」と「利益線」という二本立ての国境観、も近代国家の要素です。国の安全保障を考えての「利益線」の既成事実化です。

 そして、近代国家だけでなく、権力者は権力の維持を目的とします。権力の基盤は、国益より、提示する国家の物語=アイデンティティに国民を引き付けられるか、にあります。プレ近代国家は、それを提示する能力はありません。ポスト近代国家は、一国でなしに国家間の協調、を重視します。ただ、権力者はその物語を展開するのを重視しますので、路線変更は権力の断念になる恐れがあります。

 ロシア=プーチンは、「大国である」という幻想でしかないプライドを捨て協調へとシフトする、のは権力とアイデンティティを放棄すること、になるので路線変更は困難である、と思われます。この戦争を終わらせるのは、ロシア国民がウクライナに「悲惨」がもたらされている、という共感がめばえてくることにしか、希望がないように感じています。しかし、それには、ロシアの言説状況の特殊性をふまえておく必要があります。

 米国下院外交委員会は、二〇一五年四月一五日、「ロシアにおける情報の武器化に対抗する」という題名で公聴会を開催しています。この米国下院外交委員会において証言した、ロシアのテレビ局の内幕を知るピーター・ポメランツェフは、……次のように言います。
 「ロシアではすべての言説が陰謀説となっています。すべてが陰謀なのです。わたしたちの国際秩序はリアリティを基礎とした政治にあります。もし、そのリアリティという基礎が破壊されれば、国際的な制度や、国際的な対話そのものを維持することができなくなります。虚構は、リアリティに基づく政治を不可能にするのです」*5

 陰謀説についたは、以前触れました*6。深く考えることなしに状況を説明ができるものなので、判断停止で信じ込みやすいものです。ロシアの特殊な事情は、発信源が社会的に信頼がおかれているものである、ということです。

 さて今次のロシアの侵攻で、ウクライナの国家としてのあり方は激変しました。侵攻以前、ウクライナはプレ近代国家でしたが、侵攻への対抗としての、政府のプロパガンダとゼレンスキー大統領のアジテーションによって、守るべき「わが祖国」というアイデンティティがうまれ、国民国家として統一感がうまれました。そして、武器供与など他国への支援の依頼などにより、他国との協調の重要さを共有しています。あたかも、ポスト近代国家であるかのように、です。

 そして、状況が落ち着くと、一一〇〇万人と言われている海外避難者(まだまだ増えるでしょう)をはじめとして、さまざまな復興がなされます。帰国する人たちと、復興のための人とモノ、それらが流入した時、ウクライナは「新たなモデル」の国家となってゆくのでしょうか。

*1:『国家の崩壊 真リベラル帝国主義と世界秩序』(日本経済新聞出版社2008)

*2:岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』(中公新書2016)を参照しました

*3:新自由主義 その歴史的展開と現在』(作品社)2007 29頁

*4:同上 10~11頁

*5:松本太『世界氏の逆襲 ウェストファリア・華夷秩序・ダーイシュ』(講談社2016)46頁

*6:

 

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