サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

陰謀論否定の困難さ

 先日、いつも行っているお店に、夕食ついでにお酒を飲みに行きました。カウンター七席ほどに座敷席があるくらいで、知らない人はほぼ来ないようなお店です。そこへ、一度誰かに連れてきてもらったことのある人が、知人と二人で来店されました。お酒を飲みながら、いろいろな話をしていると、なんと、知人の方のはじめて来た方が「陰謀論」を語り始めたのです。よくそういう話は聞くことはありますが、直接そういう人と接するのは、はじめてでした。さほど過激な様子もなく、「実はこうなんです」と言っておられるだけだったから、「そんな、アホな」と笑って、いい加減に聞き流していました。

 内容は、日本には古代にユダヤ人が来ていて、歴史を裏から動かしていて、その勢力は世界中いたるところにある、とか、COVID-19のウイルスは人為的なもので、ワクチンも益はなく、ダメージを与えるものでしかない、というようなことも。いまのロシアによるウクライナ侵攻も、ウクライナによる自作自演のプロパガンダで、アメリカの指示によるものだ、とも言っていました。もっとも、真剣に聴いていなかったので、記憶は曖昧ですが。

 帰宅してから、陰謀論は間違った認識に基づいていますが、明確な根拠がないものですから、説得的に否定することは難しいのでは、と気付きました。浮気を例にすれば、分かりやすいかもしれません。浮気が疑われた場合、したことよりも、していないことを証明する方がはるかに困難です。浮気をしていた場合は、たった一つの証拠で十分ですが、していない場合では、より多くの要因を検証しなければなりません。その証明は、ほぼ不可能で、最終的には、していない、と信じてもらうしかないのかもしれません。

 つまり、根拠があれば、疑う過程はないのです、それは確信です。一方、根拠のない「疑い」を晴らすことは、述べたように不可能です。そして、陰謀論者は「根拠のない疑い」を根拠にしているのだから、正面からの否定はできません。

 では、先にあげた「陰謀論」的なものについて、

 ユダヤ人については、交易路である古代シルクロードの東端は日本である、との説もあるくらいですから、日本にユダヤ人(教徒)が来ていても、不思議はありませんが、根付いた、とは考えられません。しかし、それでも、地下組織として存在し続けた、と言われれば「はい、そうですか」と言うしかありません。ある筋の情報によると、影の存在だから、気付けていないだけなのだとすれば、それを否定することはできません。この種の、影の支配者のようなものが歴史を動かしている、という陰謀論は、出来事を解釈するのに非常に便利です。「ユダヤ人がそのように糸を引いていたから」であらゆることに、説明がつくのですから。現実には、何かの出来事に、少しでも納得しようと思ったら、何冊かの本などを読んだりして情報を整理し、順序だてて考えなくてはなりません。しかしそれでも、全容を把握することはできません。

 COVID-19は、中国の武漢ではじめに確認され、コウモリ由来のウイルスが変異して人間に感染した、とされています。当初はウイルス研究所から感染が広がり、感染力や致死性が高いのではないか、と中国からの情報が少なかったため、疑われていました。しかし、今では、自然発生的に変異が起こった、と解釈されています。動物由来のウイルスが変異して人間に感染し、病気を発症させる、これは不確定要素で、「どうしてそのように変異したのか」とか「何が変異するものなのか」に対して答えることはできません。何も説明できないのだから、陰謀論者の最も嫌うことでしょう。

 六月九日までの、日本での感染者は901万558人で、死者は1万6814人と発表されています。身近には、どちらもいませんが、伝聞で「誰だれが」、と耳にはしています。しかし、発表されたものが、本当に感染していたのか、それによる死であったのか、について、私には判断はできませんし、専門家に説明してもらっても、そうか、と思うだけで、説明は理解できないでしょう。しかし、その説明をフェイクとして流す必要は、陰謀論によらなければ、見出せないから、その説明を信頼します。

 ワクチンに対してもです。その効用は、実感できるものではありませんが、公的機関によって検証が精査され、認証がされたものですから、自ら望んで接種しています。もし、ワクチンが、身体機能にダメージをあたえるものならば、まず、医療従事者から接種が始まったのだから、リスクもその人たちからはじまることになり、医療崩壊になってしまう可能性があります。そうなれば、世界は、今あるようには維持できないでしょう。これに対しても「世界を混乱させるために」とか反論されそうですね。

 ウクライナ情勢に関してもです。ロシアからの情報の方がより多いとは思いますが、どこまでがプロパガンダであるか、その区別がつきにくくなっています。その状況や経緯を知ろうと思えば、多くの識者の見解に触れる必要がありますし、自分なりにウクライナやロシアの歴史、ソビエト崩壊後の世界動向についても調べる必要があります(ついでに、大東亜共栄圏構想についても)。それでも「なぜ、こんな悲劇が起こったのか」「どうすれば、終わらせられるのか」は分かりません。「ウクライナの自作自演で、陰でアメリカが……」というのは分かりやすいですね。シナリオありき、で始まっているのだから、不安もありません。

 かように、陰謀論というのは、ある公式というか、図式のようなものに当てはめれば、様々な出来事をたやすく説明、納得できるものです。現実に起こっている出来事は多くの因果関係などによって、起こっているのですから、全体を把握することはできません。では、なぜ、把握しようとするのでしょうか。それは、過去から学ぼうとするためであり、悲劇を繰り返さないようにするために、です。

 極論になりますが、陰謀論自然主義と通じるものがあるのでは、と感じてます。もちろん、常に反証の可能性を検証しなければいけない、とする「反証可能性」はありませんし、論理すらありません。しかし、解を求め、それによってあらゆる現象は説明できる、という欲望は似ていると思います。

 たとえば、時間への関わり方です。時間の観念があるから、三時間後に、ある駅へ行かなければならない、とすると、何時の列車に乗って、駅までは何分かかるか、とざっくりと時間を見積もり、何分後に出れば間に合う、と予定がたてられます。時間の観念は、有用でその恩恵は大きいです。

 しかし、このケースはどうでしょう。説教される一時間と好きな人と過ごす楽しい一時間。同じ一時間ですが、時の流れは違います。これに、好きな人と過ごす楽しい二時間を加えましょう。分類の仕方は、一時間と二時間、説教の時間と楽しい時間の二通りになります。多くの人は一時間という明確な基準より、楽しい時間という曖昧なものを共通項、として見做すのではないでしょうか。しかし、自然主義者や陰謀論者は……。