サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

日本は「ポスト近代国家」なのか

 前回の記事で「国益よりもアイデンティティが重視される」と述べましたが、脚注をつけるのを忘れてしまいました。クーパーの言っていることです。せっかくですので当該部を引用しておきます。

 ……正常な利益計算に従えば、イランはイスラエルと同盟関係を結ぶか、さもなくば、少なくともパレスチナ問題に対して中立の立場をとるべきである。イラクとの戦争が、このことを明確に示した。損得勘定をすれば、イランは「敵の敵は友人」という考えに戻っていたかもしれない。しかし、イランがそうしなかったことは、イスラム国家としてのアイデンティと連帯感の方が、国益より重要だったことを示している。……非民主主義国家であっても、大衆を考慮に入れないわけにはいかない。多くのアラブ国家にとって、パレスチナは外交的関心事であると同時に、国内問題でもある。それは、アメリカにおけるイスラエルの問題も同じである。国内問題が国外問題に勝るのと同じく、アイデンティティが利益より優先されるのである。*1

 ちなみに、「イラクとの戦争」とは「イラン・イラク戦争(一九八〇~一九八八)」のことで、一九七九年に起きた「イラン革命」の影響が、自国内のシーア派住民に及ぶのを危惧したイラクサダム・フセインがイランに侵入したこと、からはじまりました。

 では、本題に入ります。

 ポスト近代国家とは、EUが典型である、と述べました。もちろん、その体現している論理は、EU域内でだけ通用するものでしかありません。その協調性は、法による支配と人権を尊重する国々とは共有されますが、それを軽視している国々とは協調できない、のです。つまり、近代国家とは国民国家を基礎としており、そのポスト形態ですので、自国だけではなく、かの国も国民国家である、と同等に尊重し合う関係を築けていることを言います。

 それでは、我が国はポスト近代国家なのでしょうか。日本はG7のメンバーですのであり、価値観の面では、協調重視ですので、そうであるといえそうです。しかし、同盟については、自身の価値観にそった同盟を結ぶことはできていないので、そうともいえない、のかもしれません。国内に目を向けますと、合意や説明責任の軽視、問題を明確化をなおざりにする、という傾向が見受けられます。合意形成を優先しない、つまり、納得できないままで、うやむやになってしまう、これが国内、対外関係に潜んでいると考えられます。

 いくつかケースをあげましょう。

 「モリ・カケ・桜」疑惑、今更なのですが、記録の軽視が問題でした。説明を前提となる記録がないのですから、信用を得ることはできません(まして、対外関係では)。もし、説明を前提とする記録を残そうとするならば、為されることへの倫理も保たれるはずです。

 安倍元首相の国葬が九月二七日に行われます。国葬は政府の決定によって行うことは可能ですが、様々な方面からの批判を受けています。それへの返答や国会での説得はなされていません。せめて、国葬の基準やあり方は議論されるべきです。それで、国葬の時期が遅れても問題でないはずです。何より問題は、自民党中心の政府であるから、国葬になりましたが、他の政府であれば、行われない可能性もあるでしょう。そのときの政府の判断で、ある人が国葬の対象になったりならなかったりする、国事がそんないい加減なことではならないはずです。

 難民認定率の低さ。コロナ禍以前、二〇一九年の出入国在留管理庁発表の数字で、同庁ホームページからのものです。
 

難民認定申請者数は10,375人で,前年に比べ118人(約1%)減少。また,審査請求数は5,130人で,前年に比べ3,891人(約43%)減少。
難民認定手続の結果,我が国での在留を認めた外国人は81人。その内訳は,難民と認定した外国人が44人,難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた外国人が37人。

 難民認定でなく在留認定者の数字をとっても、0.7%というものです。それは一九五一年の難民条約の定義を厳密化しているので、認定率が低い、と言われており、偽装難民という問題がある、とも言われています。しかしそれは、どこの国でも同じ条件なので、認定者側の怠慢である、と言われても仕方ありません。条約を倫理的にどう解釈し、事例に対するか、を重視するのではなく、ただ業務をこなしているだけ、であるかのようです。

 これらは外部に対して「説明しなければならない」という意識の欠如がある、と思われます。内向けの視線だけなのです。そこは空気が支配*2している場で、そこに属している人たちは「空気」をまとい、まとわりつかれています。これがグローバルな関係を担う「ポスト近代国家」である、と言えない要因と言えます。

*1:ロバート・クーパー『国家の崩壊』(日本経済新聞出版社2008)176~7頁

*2:山本七平は、戦艦大和の出撃が無謀である、ことの根拠となる明確なデータがあるのに、それを主張できる「空気」ではなかったため、無謀な出撃の決断が下された、という例を挙げています。