サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

テロの連鎖の回避のために 1

 問題解消の手段として、暴力を用いる、目的の達成手段として、暴力は適切な手段ではありません。しかし、そのような事例は後を絶ちません。それは、問題解消という本来の目的であったものより、暴力という手段の行使が、当人のなかで大きな比重を持つようになり、行き場のない不満を暴力を使って、あらわしている、といえるかもしれません。余裕があれば、問題解消へ向かって、何らかの手段を講じることも可能ですが、そのような状態を維持できないから、凶行に走ってしまう、何か歯車が大きく狂ってしまえば、私もそのようになり得ること、を心に留めておくべきでしょう。

 七月八日、奈良県で、参議院選の応援演説をしていた安倍晋三元首相が、銃撃され、死亡した事件の容疑者について、彼の生い立ちや、母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会世界基督教統一神霊協会)に入信していて、家を売り払い、破産しても献金していたことにより困窮しており、追い詰められていたような状態にあった、と報道されています。

 この事件は、民主主義に敵するもの、という単純な構図に収めてはならない、と思います。容疑者が事件を起こさなければ、私たちがその境遇を知ること、はあり得ません。今までも、少なくない凶行の犯人が、犯行によってその境遇が知られることになりました。そして、その背景には、同じような、あるいは、もっと悲惨な境遇にある人たちが多くおられますが、私たちに知られ、気遣われることは少ないでしょう。その人たちは、私たちのいう民主主義から「見捨てられ」ている、という無意識を持たされている、のかもしれません。やがてそれを、自覚する人もあるでしょう。その時の当人の心情を推察するのは容易ではない、でしょう。

 信者が信仰している教団に献金することは、教団に貢献できたという「喜び」であるのでしょうから、それを止めることは不可能に近いのです。さまざまな宗教に対して、多額の献金がなされているであろうことは、容易に想像できます。

 献金を行った信者は、困窮しても教団内で「出家のような」状態で生活はできるでしょうし、信仰に基づいて生活をしているのだから、個人的に使うお金はほとんど必要ない、と想像できます。しかし、そのしわ寄せは、家族などの身近な人たちを圧迫します。それらの人たちに向けて、セーフティネットとなるべきものは、あるようですが、十分に機能していないようです(機能していれば、このような事件はなかったかもしれません)。セーフティネットにたどり着けなかったり、いつの間にか追い詰められてしまって、考える余裕さえもない、という状態にある人たちが、少なくない規模でおられるでしょう。自己申告や自ら求めてゆかなければいけない、という方法では対応できなくなっています。対応策を見つけなければ、そこが、ローンウルフ型テロの土壌となってしまいます。

 対応策へのヒントとして、まず、新宗教、新新宗教について知る必要がある、と考えます。

 まず、新宗教(かつては新興宗教、と呼んでいました)を神道系と仏教系との区分けでみてゆきます。

 神道系は、明治から戦前の国家神道と呼ばれるメジャーな天皇中心のものに対して、大本教天理教などが、土着と言いますか、弱者からの読み替えとして、整備され、理想社会の実現をめざしていた、といってよいと思います。神のもとでの理想的世界、を生きるための「お勤め」、と言っていいと思います。

 そして、仏教系は、創価学会委、霊友会立正佼成会という日蓮系のものが有名です。日蓮系ですから、「世直し」を志向しています。こちらを話題にするのが、現実社会を反映しているようで、適当だと思います。

 宗教学者である島田裕巳の『戦後日本の宗教史 天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書2015)に従って、創価学会について、述べられているところを要約します。

 日本の高度経済成長は一九五〇年代の半ばからはじまり、第二・第三次産業の発展により、都市部の労働人口が不足してきます。それにより、農村で農地を持てる見込みの少ない、次男や三男などが、仕事を求めて都市部へ出てゆきます。金の卵ですね。

 しかし、彼らは、学力が低いため、条件の良い、大企業やしっかりとした労働組合のあるようなところ、などには就職することはできません。未組織の労働者として、不安定な生活を送らざるを得ない境遇にありました。

 もし、彼らが、地方社会で生活していたならば、村の共同体の規制を受けていたものの、そこには、家を核にした人間社会のネットワークが広がっていたでしょうが、都市部では、そうしたネットワークを確保することが困難でした。

 その際に、現世利益を与えることを約束する新宗教は魅力的な存在に映ったはずだ、と指摘しています。

 そして、同じような境遇にある者が引き寄せられて、ネットワークを広げることができ、彼らは、自らの生き方を確立することができるようになったのです。

 しかし、一九七三年のオイル・ショックで、経済成長にブレーキがかかり、現世利益の実現が難しくなり、信者の獲得も困難になってしまいました。そうした状況のなかで、現世利益ではなく、終末論的な信仰を強調する、新新宗教が注目されるようになりました。

 というような流れ(私見によるまとめですが)で、新新宗教までの流れを説明されています。

 私の知人にも創価学会などの信者はいましたが、あの人は、でなく、「あの家は創価学会」というように家単位での認識でした、ということは、「新宗教」は、教団の枠を中心として、家を核とした人間関係のネットワークを広げた、いわば、擬似村落共同体、である、と言えそうです。

 次回は、元(自称不信仰な)統一教会信者(一九八一年四月から九二年四月まで)であった仲正昌樹の『Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶』(双風舎2009)によりながら、の説明、というか、ほとんど要約になります。

七月二三日追記 

 問題解消の手段としては、暴力は適切ではない、と述べましたが、あらゆるケースにおいて、ではありません。国家権力による、法に基づいた暴力の独占、護身のためのものは有意義です。