サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

テロの連鎖の回避のために 2

 統一教会(元、ですが、この呼称を使います)で思い浮かべるのは、歌手の桜田淳子や元新体操選手の山崎浩子が参加していた「合同結婚式」です。会場に多くのウエディングドレスの女性とタキシードの男性がペアで並び、歓喜の声をあげている、異様ともとれる映像を見た、という記憶があります(後付けの記憶かもしれません)。そして、珍味の訪問販売、訪問されたこともありましたが、噂になっていたので、話も聞かずに断っていました。仲正*1によりますと、一袋五〇〇グラムで、大きめのバックに二〇袋以上入れていたそうです。霊感商法なども問題視されていました。要するに、「訳の分からない集団」とだけ認識していて、関心を持っていませんでした。

 では、いかなる教団なのでしょうか。『Nの肖像』を参照しましょう。

 統一教会は、旧約聖書の「失楽園」を「堕落論」として解釈している、と述べられており、エバを誘惑した蛇を、神が人類より以前に創造した天使長ルーシェル(ルシファーの韓国語の発音)と解釈しているそうです。

 ルーシェルは、それまで神が創った被造物のなかでもっとも美しい存在であり、神の愛をもっとも強く受けていた。しかし、神の子である人間が創造されたあとは、人間に仕え、人間をとおして神の愛を受けることになっていた。
 人間の出現で、神の愛を奪われるように思ったルーシェルは「愛の減少感」を強く感じ、その減少感を満たすために、神の愛を受けて美しく輝いているように見えたエバを誘惑し、関係を持った。そして、神の戒《いまし》めにそむいて、本来ならば将来自分の夫となるべきアダム以外の存在と関係を持ってしまったエバは不安になり、アダムと――まだその時期ではなかったにもかかわらず――関係を持ってしまった。アダムもまた、エバをとおして間接的に、ルーシェルと交わることになったわけである。
     (略)
 悪魔サタンと化したルーシェルの誘惑に負けて、性的に交わり、心身ともにその影響を受けたことで、アダムとエバは何度も繰り返し罪を犯す体質を身につけた。これが「原罪」である。

 セックスを好み、求めるのは、ルーシェルの誘惑によるもので、それに囚われて、のことなのですね、セックスのたびに原罪を新たに、すごい解釈です。それによるものなのでしょうか、合同結婚式で教祖にマッチングされても、すぐ家庭をもてるのではなく、聖別期間があり、その期間は二人で会うことも困難で、もちろん、祝福された主体者(男性)と相対者(女性)同士以外と性的交渉を持つことはできないそうです。

 「復帰原理」というのは、アダムとエバより罪の血統を継承し、日々罪を犯しつづけている人類をサタンの手から奪いもどすべく、神がさまざまな働きかけをする際の法則を論じたものである。(略)
 通常のキリスト教では、神の子であり、原罪のないイエスが十字架で死んだことによって、人類の罪は基本的にあがなわれたとされている。だが、統一教会の場合、イエスの十字架による救いは「霊だけの救い」であり、不完全だとされる。イエスが殺されることなく、地上に神の王国を建設し、結婚し、子孫を残していれば、救いは完成した。だが、イエスが肉体を失って、信者に霊的に働きかけることしかできなくなったので、不完全であるという。
 人類を完全にサタンの血統から救済し、霊肉における救いを完成するには、再臨のメシアを迎え、メシアによって人類の罪があがなわれ、メシアを中心として地上に神の国が実現されねばならない。

 イエスの十字架での死によって、霊と肉が分離してしまい、霊の次元でのみ罪があがなわれました。信仰のもとでの、霊的なエデンの園、と言っていいでしょう。しかし、それでは、完全な救いにはならなくて、この霊的なエデンの園に、神の働きかけによって、サタンの血統より囚われたままの「肉」が救い出され、霊と結びつき、霊肉として統一した(だから、統一教会?)救いとなる、ということでしょうか。

 また、共産主義をサタンの手先であると位置づけたうえで、「勝共《しょうきょう》理論と呼ばれる理論を体系化し、反共を中心とする政治活動を宗教と結び付けていることも、統一教会の特徴であるといえよう。
 「復帰原理」では、神とサタンの闘争は、哲学・思想の世界でも展開され、神側の思想とサタン側の思想が絶えず対立されてきたとされる。一般的な傾向として、神や例の存在を肯定する唯心論が神側、それを否定する唯物論がサタン側とされている。善悪の思想闘争をとおし、神側もサタン側も次第にバージョンアップしていく。
  (略)
 「勝共」という言い方には、単に共産主義に「反対」するのではなくて、その問題提起の深刻さを受けとめたうえ、それを超える理論を示すことで、思想的に克服させるということが含意《がんい》されているという。

 共産主義唯物論的なエデンの園は、サタンによる原罪にまみれているので、神からの働きかけをたよりにして、本来のエデンの園へ復帰を目指す、ということでしょうか。先の引用にあった、イエスの十字架の死による「霊だけの救い」と考え合わせると……。

 (統一教会は)教会本体のほかに、まず大学内組織である原理研究会があり、学術では世界平和教授アカデミー、政治では国際勝共連合といった組織をを展開している。(略)

 (略)それらの会員になっている知識人やジャーナリスト、そして政治家の多くは信者ではない。彼らの多くは、文教祖の反共主義に共鳴して、大同団結した人々なので、必ずしも宗教的な信仰によって結びついていない。

 ちなみに、仲正は東大の原理研究会に属していました。そして、報道では北朝鮮とのつながり、が語られているようですが、反共主義から路線変更したのでしょうか。文教祖が九一年一一月に金日成と会談をおこなって以来、徐々に、と述べられています。

 (一九九二年に)合同結婚式が話題になると同時に、マスコミが大々的に霊感商法を批判するようになった。報道が過熱するにつれ、勝共連合を支援していた自民党の議員や 大学教員らが、「勝共連合統一教会がつながっているなんて、知らなかった」といって、支援をやめてしまうケースが増えた。

 スキャンダルをおそれて、ですね。若い方はご存じないでしょうけれど、五〇歳以上の人は、統一教会に対して、スキャンダラスな印象を持っている人が多い、のではないでしょうか。にもかかわらず、二〇二一年九月、統一教会系のイベントに、トランプ前米大統領とともに安倍前(当時)首相がビデオメッセージを送りました。これは、その人の影響力の大きさを考えると、周囲を含め軽率(当時も一部で、問題視されていたらしい)ではあったようです。エデンの園への復帰願望、が似ている*2から、かもしれません。

 次回は、元信者としての仲正の見解と、それに触発されたこと、などです。  

*1:昌樹 元統一教会信者として、『Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶』(双風舎2009)があります

*2:説明不足ですね。現在の社会を荒廃している、と考え、戦前などの価値観を理想化して、復帰を目指す、というノスタルジー、として、です