サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

読書を楽しむ

 Hatena Blogのホームを開くと、「週刊はてなブログ」の「Editor's Pickそれぞれのやり方で、読書を楽しむ」という文章が目に入りました。

 仕事上、本を参照する必要のない者としては、多くの本を読んでいると思いますが、では、楽しむために読書をしているのか、と言われれば、そういうケースは稀です。知的好奇心、といえば聞こえはいいですが、役立たせるために読んでいる、という場合がほとんどです。じっくりと読んでいる本も常に一冊はあります。今はジュディス・バトラー著『ジェンダー・トラブル』です。以前、途中で読むのを止めてしまったので、再読とはいえないかもしれませんが、このような難解な本はじっくり味わったり、楽しんで読んだりできるものではありません。悪戦苦闘しながら読んでいます。あえて、そんなことをしているのはマゾヒスト的楽しみなのかもしれませんが。

 余談はこれくらいにしておいて、数年前のことであったと思いますが、はっきりと記憶に残っていることがあります。ブックオフで古書を物色していた時のことです。おばあさんが108円均一コーナーで本を見ておられました。10冊くらいの、半分以上は通読しないような本をかかえてレジに行くと、前にそのおばあさんが一冊の文庫本を持って並んでおられ、楽しみが待っているかのような感じで、お支払いをされていました。それを見ていて、なんとも「愛おしい」と心を動かされ、幸せのおすそ分けをいただいた気持ちになりました。彼女のような人こそ純粋に「読書を楽しむ」のです。

 読書を楽しむ、このような習慣は持っておくべきです。まず時間を持て余すことはありません。多くの趣味は長時間、毎日できるものではありません。読書なら、本を図書館で借りれば、コストは交通費くらいですし、空いた時間があればいつでも始められ、途中でやめれれる手軽さもあります。時間つぶしにテレビを見たり、ネットで訳の分からないフェイクな情報見つけたりする必要もなくなります。読めば読むほど読みたい本が増えるばかりで、時間が足りなくなるのですから。

 時間を持て余しているから、おかしな考えに凝り固まって妄想したり、考えなしに行動に移したりするのです。そのような時間が少なくなるだけでも好循環の一端です。別に名作や理論的な本を読む必要はありません。変な思想にかぶれないために、バランスだけは心がけましょう。極論すれば、小学生の授業の大半を「読書の楽しみ」を習慣付けることに費やしてもいいと思います(それに伴う感想文と)。課題は、精神的に余裕がなくなって、読書どころか多くのことができなくなってしまうのをいかに防ぐかだけです。それは読書に関してだけではなく、大きな社会問題なのですが。