サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

衆院選を終えて

十月三一日に実施された衆院選の結果、議席数は自民276から261、立憲109から96、維新11から41、公明29から32、国民8から11、共産12から10となり、維新・公明・国民が増、自民・立憲・共産が減だが、自民は過半数を大きく上回る結果となった。この結果から国民は「現状(コロナ禍以前)維持」を選択した、と思える。しかしそれは、どの政党もしっかりした展望、指針を示せていなかったので、仕方なしの選択でもあったようにも感じる。

今までもそういう傾向を感じていたが、今回ほど選ぶことが困難な、賛同する要素を見つけられない選挙も珍しい。多くの人にとってもそうであったのかもしれない、義務のように感じて行かなければ、というだけであったのでは?という印象を持っている。総じて争点がなかった、ということだろう。

現状維持といえば、衆院の女性議員が45名という結果になったことにも表れていよう。目標では、465名のうち3割の140名であるにも関わらずに、だ。ジェンダーギャプ指数が、取りざたされているにもかかわらず、国民はそこまで考慮できなかった。それどころか、わが選挙区である京都二区では4名の候補者は男性のみ、というありさま。

ジェンダーギャップ指数は、男女が今ある価値観の下で、どのくらい平等であるかの指数であるから、基準の明確さ、そして数値化に適していることが条件となる。それは、政治・経済・教育・健康の四項目で評価されており、数値化しやすいようにデザインされたもので、男性基準での女性の地位向上を目指すもの、でしかない。そこからこぼれ落ちてしまっているものに注視しなければ、有用なものであるとは言えない。

しかしそれは、ある程度の水準にある国にとってのことである。しかし、2019年度で153か国中121位の日本では、まず指数をあげなければいけない。それは、数値が大きくならなければ、スタートの位置にさえつけないからだ。はっきりと数値化できるものなのであるから、真剣に取り組めば、さほど向上は困難でない、と思う。それができないのは、掛け声だけで、現実的な取り組みをしていないからだろう。だから、2006年から被調査国でありながら、最上指数が2015年の0.670(101位)という結果に甘んじている。

これは一例にすぎないし、多くの面で日本は暮らしにくい社会となっている。もはや大国、と自称するにふさわしい国ではない。かつて、大国と呼ばれていたことへのノスタルジーに浸り、現実は不安要因に満ちているにもかかわらず、自負だけは大国意識を持っている。コロナ禍以前は、不安要因は見えないものとしていたが、コロナ禍でそれは、明らかなものとなってしまった。そしてコロナ禍さえ過ぎてしまえば、以前が戻ってくる、という現状維持期待。しかしそれでは、不安要因は解消されず、触れられないものとして閉じ込めるだけ、となってしまう。そして、それは、地下水脈としてひろがり、蔓延してゆく。

それは、もとより自殺率の高い日本で、コロナ禍でさらに多くの方が自らの命を絶たれた。特に、女性と若年層の増加が著しいこと、からも推測できる。さらに、何とか踏みとどまってはおられるが、寄る辺のない生活や、立場を強いられている方々がどれくらいおられるかは、把握することさえ困難だろう。そして、困窮されている人は、精神的にも追い込まれていて、立ち止まって考える余裕など持てないだろう。生活への保障が不十分で、自助努力の空気が支配しているこの国では、困窮の当事者は、連携も連帯もできず、先の展望を持てようはずはない。そして、諸政党が、安心できるような展望を示してくれなければ、現状維持でコロナ禍以前の状況に戻れば、「私の困窮も何とかなるのでは」と、淡い希望を持ってしまう。この不幸の連鎖を、断ち切ることは、できないものなのだろうか。目先の利益よりも、恒常的な安心。これこそが、唯一「喫緊の課題」であるはずです。