シャドー・ワーク
新型コロナ禍にあってよく耳にする「エッセンシャル・ワーク」、「ケアリング・ワーク」または「ブルシット・ジョブ」に対する「リアル・ジョブ」という呼称には、なぜかなじめないでいる。そんな中、ふとイヴァン・イリイチの「シャドー・ワーク」という表現が思い浮かんだ。この表現はフェミニストらが女性の地位を貶めている、との批判があったと記憶しているが、読後、斬新な指摘だと感心した。そのようなわけで再読しようと思ったら、絶版になっている。すぐにでも再販してもらいたいものだ。岩波書店さん、お願いします。
現在の価値観は、
例えば、水は潤沢に存在していることが、人々にとっては望ましいし、必要でもある。そして、そのような状態では、水は無償である。それこそが「公富」の望ましいあり方である。
一方、何らかの方法で水の希少性を生み出すことができれば、水を商品化して、価格をつけられるようになる。人々が自由に利用できる無償の「公富」は消える。だが、水をペットボトルに詰めて売ることで、金儲けができるようになり、「資材」は増える。それによって、貨幣で計測される「国富」も増える。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』 245頁
との性質がある。 そのような分析から斎藤は『未来への大分岐』(斎藤幸平編)で、
資本主義のもとでは、利潤の追求に適していないものは、「発展」しないまま放置されがちです。たとえば、教育、育児、介護、地球にやさしい低炭素産業などですが、そういったものを、我々は「成長」させる必要がある。「脱成長」では、オルタナティヴとして十分ではありません。
(87頁)
と指摘している。
私たちは「貨幣で計測され」、「利益の追求に適して」いるような生産性重視の労働を重要な経済の柱である、との価値観の中にいる。そして、イリイチは、そのような労働を可能にする状況を生み出す家事や教育などを「シャドー・ワーク」と名付けた。つまり、「シャドー・ワーク」がなければ「生産性重視の労働」はできないのである。