サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

住民投票

芸能人の政治的発言がゆえなき批判にさらされていることが大きく報道されている。私はもっと著名人たる芸能人などのケースの門外漢から「これはおかしいのではないか」という問題提起がなされなければならない、と考えるのだが、それが気に食わない層があるようだ。その影響力の大きさから言って、彼らには賛否両論の反応があるだろうが、資格云々などのような言いがかり的な発言は間違いだ。「お上のなすことにお前らごとき立場の者が」と見下すような趣旨だが、同じ土俵に上がるのを拒み、自身の不快感の表明にとどまるっているだけのレベルへと自らを貶めている。「これがおかしいのではないか」と言明するのは推奨されるべきであり、同じく「おかしいのではないかといったその内容は、おかしいのではないか」という反応もあるべきだ。しかし、「これがおかしいのではないか」という言明することが「おかしいのではないか」というのは誹謗でしかない。

 

同じく、住民による「ある具体的政策」への意見表明などはなされるべきであるが、しかし、具体的な案件への選択を住民投票で問うのは、ケースによっては民主主義のはき違えになる、と考えている。沖縄の基地問題などは地域に密接な問題であるから自らの利害判断で、選択は容易であろうが、「大阪都構想」では多方面の影響があり、住民は多くの要素についての情報にさえたどり着けない(二重行政解消などのための都構想など必要ではなく、既存の行政システムの見直しで対応できると思うのだが)。結局は雰囲気で何となくイメージで選択せざるをえなくなってしまう。

大枠の選択を住民に問いかけてはだめでしょう。