サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

京都市長選

京都市長選といえば「共産対非共産」という対立ばかりで、誰かを選択するということができない選挙であった。もちろんここで言っている「非共産」とは、共産的なものに批判的である、という積極的なものではなく、現状の体制の継続側といったほうがいいかもしれない。ここでは「共産」側のほうが選挙姿勢が明確であった、という意味合いで「共産対非共産」と呼んでいる。

今回の選挙は、門川大作、村山祥栄、福山和人という候補者で、はじめ「保守分裂」などと言われていたが、第三極の存在で選挙らしい活発さがみられ、好ましい。

今までの選挙では、京都市の財政難などの現状に批判的であったので、「共産」という選択であったが、候補者の選択がうまくいかず直前に決まる、という準備不足の選挙戦という感があった。その点を踏まえて福山陣営の立ち上げは、十分な準備がなされているように思う。しかし、その立ち上げの場であったろうが、「安倍政治にNo!を京都から」とのスローガンがあったのに疑問を感じた。市長になれば、国政と掛け合ってゆかなければならないのに、その担当政権を頭ごなしに否定とは、地方自治、市長のおかれた立場というのが理解できていないのでは?とさえ思ってしまった。

京都市立芸術大学の京都駅前移転が報じられたときに、「なんで、京都駅前なん?京都大学の一部も移転しているし、国際日本文化研究センターもあるし、早急に財政の都合を何とかして地下鉄の計画路線の完成を目指すほうを優先すべきでしょう」と素直に感じた。そこには、崇仁地区の再開発、ということがあったろうが、なぜあのような中心部に、という選択意図が理解できなかった。村山の立候補により、財政難も含め京都市の現状の問題点が取り上げられるようになった、という状況か。