サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

天地の創造とエデンの園

 旧約聖書*1を読むと、『創世記「天地の創造」』で、アレッ?と思います。いつごろはじめて読んだのか、記憶は定かではありませんが、どういうことなのか理解ができませんでした。

 初めに、神は天地を創造され、そして神は言われた。「光あれ。」神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。第一の日である。

 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。第二の日である。

 その後も天地の創造は続きます。

 神は言われた。「我々をかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女を創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ。地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地に這う生き物すべてを支配せよ。」神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。第六の日である。

 天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なすった。

 めでたく、天地が神によって創造されました。しかし、それで終わりではありません。

 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところに連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。これこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

 これがどういうことなのか、わからなかったのです。天地は完成し、男と女をも創造されて、満足されたのに、そのうえでアダムを造られるッテ、どういうことよ、という感じです。以下は、わたしの勝手な読みです。

 神は「我々をかたどり、我々に似せて、男と女を創造」します。一方、主なる神は、「人を作り、息を吹き入れられ、生きる者」としました。神と、主なる神と使い分けられていますし、神は「我々」と言われているように、複数であると想像できます。「神」は似姿として、男と女を創造しますが、「主なる神」は、ただ、アダムを形づくり、生きる者としました。アダムの手本となるものは、どこにも示されていません。神と主なる神、別の次元でのお話、とすれば分かりやすくなります。

 まず、神が天地万物を完成させます。いろんな地域にある「この世の始まり」についての神話と同じで、ただ抽象度が高いだけです。そして、その天地があまりに立派だったので、「主なる神」が「エデンの園」を設け、自らの意にかなうものを囲い込もうとしたのでしょう。「神々による世界」と「主なる神による世界」、各々の成立の起源が語られているのです。神々による世界に「主なる神」によってエデンの園=楽園がもたらされたのでしょう。

 余談ですが、女はアダムのあばらの一部を抜き取って、造り上げられた、というのは、フェミニズム的にはどうとか、と目にしたことがあります。けれどアダムだって、あばら骨の一部を抜き取られて、死んじゃったんだろうし、その跡を肉でふさがれて、リボーンしたのでは、と考えられそうです。アダム=人間、マン=人間と同じようにその語彙には不満を待たれるでしょうが。

 人と妻は、二人でエデンの園に住むことになるわけですが、神が連れてこられたのは、「人」だけで、彼一人だけが、「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と主なる神から言われます。女はその後に造り上げられたので、直接それを、神から言われた様子はありません。彼女は主なる神によって人のところへ連れてこられ、二人は結ばれて一体となったわけですから、彼に言われたたことは、彼女にも……ということでしょうか。

 そして、蛇の誘惑に負けて、女は善悪の知識の木の果実を食べてしまい、男にも渡し、彼も食べてしまいます。それを知った主なる神は呪いの言葉をかけました。

 「アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。主なる神はアダムと女に皮の衣を作って着せられた」。そして、エデンの園から追い出しました。

 追い出されたのは、もちろん「神がお造りになった天地」へ、です。そして、アダムとエバはそこで暮らすわけですから、もともとそこに住んでいた男と女、と同種のものとなって現れた、のではなくてはなりません。ということは、主なる神は「神が創造した男」をモデルとしてアダムを形づくられたと言えそうです。そして、今でもエデンの園は至る道をケルビムと、きらめく剣の炎に守られて、たどり着けない場所としてあるそうです。

 わたしたちは全て、「神のお造りになった世界」に住んでいますが、私のようにエデンの園とかかわりを持たない、神をかたどって創造された男と女の子孫と、かつてエデンの園に住み、追放されたアダムとエバの子孫、の二つの系統がある、ということになります。信仰の面からは、あっちからこっちへと移ることがありますが。

*1:新共同訳