『往生要集』入門 人間の悲惨と絶望を超える道
本書における著者のスタンスは、人間は誰でも「苦」や「限界状況」に直面してしまう可能性があり、そうなったときに頼れる「大きな物語」が必要である。しかしそれは、独りよがりのものではなく、道理にかなっているかを見定める必要がある、というところにあるだろう。その視点から源信の思想を読み解こうとしている、と感じる。
そして、それを根拠づけるものとして、ある種の因果(つまり、「教えを聞いて感動して信じる者は、彼らがすでに前世で仏道を行じていたから」)で説明する。私も、なぜ信じる者と信じない者が生まれるかは、「前世」でなくとも、これまでの「学び」によるところが大きい、という説明で納得できる。その人の積み重ねてきた経歴で、判断以前のものを形成する資質、と言えばいいのかもしれない。しかし、それらの根(因)のない者(「人道」に出てきたばかりの者、と説明している)は、教えを信じず、独りよがりの「大きな物語」(陰謀論やカルト)に頼ってしまう。なぜなら、誰でも「苦」や「限界状況」に直面する可能性があり、そのとき何かに救いを求めてしまいから。
ここから「浄土思想」を評価する姿勢が読み取れる。
大乗仏教では、様々な非歴史的な「仏」が生み出されていることを重視する。それはブッダから隔たっており、教えを実践できない時代の、経典の教えの象徴として必要とされたものであろう。もちろん阿弥陀仏もその一つ。