サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

京都府知事選2022

 本日四月十日は、京都府知事選挙の投票日で、候補者は、現職の西脇隆俊と新人の梶川憲で、一騎打ちとなっており、相も変わらず、反共産対共産の対立構図になっています。京都市市長選もそうなのですが、ただ単純な対立を際立たせているだけにすぎず、関心の持てないものになっています。京都府とか京都市クラスの規模の自治体であるなら、もっと多方面からのアプローチが、あってしかるべきだと思うのですが……。

 思い返せば、2020年の京都市市長選では、反共産に二人の候補者が立ち、危機感を持った現職サイドが、地元紙である京都新聞に「非共産」を訴える意見広告を出し、写真掲載された著名人も含めて、抗議を受たことが判明するや、翌朝には市内各所で、いかにも有力者らしき人たちが、「その件には触れず」に支持を訴えていた、ということも見聞きしました。単純な「対立」を強調するだけで、対立側への論理の伴わないアンチ感だけに基づいているものだったから、考えなしだった、ことも当然なのかもしれません。選挙民であるにもかかわらず、第三者的に「白けてしまった」のを憶えています。

 その記載内容は、

 京都はいま大きな岐路に立たされています。わたしたちの京都を共産党による独善的な姿勢に陥らせてはいけません。国や府との連携なしには京都の発展は望めません。
    未来の京都をつくる会

 というものでした。こういう主張を「独善的」ともいいます。

 話を戻せば、対立構図にとらわれる、ということは、権力にとらわれている、ということでもあります。当選しなければ、政権を担《にな》わなければ、政治に影響を与えられない、という発想に囚われているのです。それは政治をそのお客や消費者意識であると考えているような「大衆」に向けて為されるもの、としてしか扱っていないのです。権利に自覚的で「当事者意識」を持つ「市民」という層は考慮されていないのでしょう。

 そういう「市民意識」の受け皿になるような候補者が必要なのです。その候補者は当選する必要はありません。正論にこだわり、争点になっていない小さなことでも合意点に導き、明確にしていく。大きな公約など必要ありません。他の候補者の政策のあいまいな部分を問い正すのを第一とする、そのような候補者が必要とされています。対立といいますか差異は、合意が形成されていて、それに基づいてのものでなければいけない、と考えます。