サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

自粛生活

去年の三月二十日からの三連休は天気も良く、散歩をしていると、多くの人たちが野外で集まって騒いでいた。新型コロナウイルス感染への危機が広まっており、日本国内でも危険視され始めたころのこと。楽しみにしていた神戸市立博物館での「コート―ルド美術館展」が、期間短縮での開催とわずかな希望を持っていたが、残念なことに開催中止となってしまった(Google カレンダーに開催時期の予定が残っているだけ)。身近に感染による重症化リスクのありそうな方たちもいたので、用心しておかなければいけない、との危機感を持ち始めたのもこの時期のこと。

緊急事態宣言下では、短時間の買い物とランニングやウォーキングなどの軽い運動、おまけで仕事くらいの外出しかできない。解除されていた時も、よく知っていて知人ばかりしか来ないお店で多くても二人、ほとんど一人で飲みに出かけるくらい。それも以前のように午前さま、ということはなく、もちろんはしご酒などできない、というのが加わるくらいのもの。書店に出かけても、あらかじめ購入する本を決めていて、一時間も見て回らない。

もともと、インドア派で、人と約束して出かけるとか、多くの人で集まってイベント的に何かをするというのが好きでなく、自宅で読書などをしているほうが楽しい。

では、自粛生活は苦ではないのでは?と問われれば、確かに苦ではない。しかし、年末くらいから困った事態になっている。気が散りやすいというか、散漫になりがちになってきている。眠気にもおそわれ易くなって、ついウトウトとなりがち。こんな事今までなかったのに、加齢のせいかも。でも、急にだもの。

思い当たるのは、

長年の習慣なのか資質なのか、行動がルーティン(マンネリ)化しており、パターンが決まっていて、変化に乏しい生活をしている。出かけたりするのも、ほぼ決まった曜日以外はあまりなく、イレギュラーはあまりなかった。人つきあいも悪いほうで、わずかの決まった人としか出かけない。イベントなども社会生活をしていくうえで、必要だから出席するが、終わればすぐ帰ってしまう。決まったパターンの行動を過ごしていて、それがいいリズムとなって、気分転換と言っていいのかな、予想外の事態も含めて円滑にこなすことができていたのかもしれない。月に一・二度、大型書店の書架や古書店を時間をかけてまわるという贅沢もできなくなってしまった、という要因も大きい。

それらが乱されるのに、耐えられるのは半年ぐらいなのかもしれない。そのころから、生理的といってもよいくらいの不全の症状が、顕著になり始めてきた兆候があったのかもしれない。