サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

科学者議会

 参議院選です。回数を経るごとに、ばからしい選挙戦で、白けてしまいます。

 参議院は「良識の府」などと言われていましたが、「政局」の道具でしかなくなってきている、ように見受けられます。与党とか野党とかの立場や、政党が強調されているだけで、衆議院の二軍のような存在でしかありません。参議院は任期が六年で、解散はなく、法案などでは衆議院に優越権があります。それだけ見れば、お気楽そうです。「良識の府」としての働きがなければ、存在意義を見出すことはできません。それには、候補者が政党に属するのは構わないにしても、当選したのちは、党益よりも議員としての良識を優先する強い意志、が問われている、との自覚が必要です。

 衆議院に議決の優先権があるのだから、多数決による議決にとらわれず、政党の垣根を越えて、法案を「良識」に従って審議する場、として機能すべきです。

 議員に必要な能力は、衆院では、国民に支援を訴えたり、討論などをうまくこなすパフォーマー的要素、が重視されますから、どうしても、ポピュリズムに流される傾向にあります。それにブレーキをかける機能、が参院には必要です。しかし、選挙活動でも、「地元の意見を国会に」などと訴えているのだから、候補者自体が「参議院とは」を理解できていないのかもしれませんが。

 七月三日の朝日新聞朝刊に『深論 参院選の先に』というオピニオン編集長・各務滋による記事がありました。「なるほど」と思える記事です。

 「たとえば参議院を科学者会議にする」。政治思想史研究者の片山杜秀さんが一昨年秋につづった週刊新潮のコラムに、こんな一節があるのが目に留まった。

 週刊誌はあまり読んでいないので、そんなコラムがあったのは知りませんでしたが、たしかに、目に留まる一説です。

 気候変動やウイルス、地震などの大災害。いまは国家や社会が科学に関わる課題に左右される時代だ、と片山さんは指摘する。「けれども科学者には審議会などで参考的に発言する機会はあっても、行政府や立法府で責任をもって発言する仕組みがありません」
 一方、大半の政治家は科学的な専門知識を持ってはいない。有権者も問題が高度すぎて、何が正しいか判断が難しい。だから争点にもならない、という。

 自然科学だけでなく社会科学についても、専門知識の必要な高度な問題があります。それらについては、科学者の見解を取り入れて協議し、一致を目指さなければなりません。参議院では決議にとらわれる必要はありません。
 

 「日本は二院制だが衆参に本質的な違いはない。議院内閣制を守ったうえで、参院には学者の席が用意されていい。旧憲法下の貴族院には学者も勅任議員として選ばれていたし、英独仏の上院は今も直接選挙ではありません。こういうことで改憲の議論があるなら、大いに結構なのですが」

 まったく、おっしゃる通り。直接選挙を基盤とすれば、空気のような「民意」に左右されてしまいます。そのときだけ迎合するのです。
 

 各務 一方では有識者会議が乱立しています。
 片山さん 政府がやりたい政策について、それを支持しそうな顔ぶれが選ばれてお墨付きを与えているだけ。責任の所在があいまいなのも問題です。
 専門家の知見が十分生かされる仕組みを考えるとしたら、責任を持たせないとダメだと思います。科学者の提言を受け入れて政府が行った施策がうまくいかなかったら、メンバーが交代するぐらいでなくては。

 そうですよね。民意で選出されたのではないのだから、提言が適切でなかったなら、自ら退くのでなければいけないでしょう。専門知識を持たない政府が、御用学者による有識者会議に諮《はか》って方針を決める、なんて問題外です。
 

 片山さん 政治改革で官邸・内閣官房内閣府と頭でっかちにして、既成省庁の権限を弱めて上で決めたことだけやらせるようにもなりました。でも官邸の方が各省庁より専門知があるわけではない。コロナでの一斉休校や布マスク配布はその欠陥の表れです。むしろ疫病のような専門的な問題が生じたときは、その分野の専門知が集まる省庁の大臣に優越的な権限を与える方がいい。

 「決められる政治」や「政府主導」に凝り固まっているので、もっと柔軟に対処する、ということでしょうか。政府は大まかの方針を示すだけでよいのです。なのに、政府(行政府)の力を誇示したいだけ、としか思えないような事例はよくあります。批判に向き合うのではなく、暗黙な忖度の強要です。

 今回の参院選は、「良識」のない、目立つだけの政見を訴えている政党が乱立し、まるで見世物のようなものですから、今までにないような、ぼやけた選挙になり、政治不信が「あきらめ」から「害」になる恐れがあります。

 参議院に相当するものは、イギリスでは「貴族院」、フランスでは「元老院」と呼ばれています。大所高所からものを見る、ことができる者でなければ、その任を担うことはできないものです。