投機としての「楽曲」
昨年12月、坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲のメロディー595音を、1音ずつ分割し、1音に1万円の値段を付け、NFTのプラットフォーム「Adam byGMO」で売り出した。1音につき1人しか購入できない限定品で、発売後すぐにアクセスが殺到し、ホームページのサーバーがダウンする事態となった。
NFTを購入した際に得られる権利は、アーティストごとに様々で、曲をダウンロードできる権利だけが受け取れる場合や、作品を二次利用する権利、曲から生まれる収益の一部を得られるケースなどがある。作品に自分で値段を付けて転売することもでき、取引額の一部はアーティストに入る仕組みとなっている。株のように、価値が上がりそうな作品を購入し、高くなったときに売ることもできる。
朝日新聞DIGITAL 2022/2/3
という記事がありました。
楽曲をこのように、投機目的で利用したのをはじめて耳にしたのは、デヴィッド・ボウイでした。1997年にボウイ債として証券化しています。実際に知ったのは、もっと後からであったと思いますが、80年代半ばくらいには、この種の音楽への関心を持てないようになっていたので、「へぇ~」という軽い印象しかありませんでした。
坂本は「1音を1万円で売りに出した」そうです。ここまでになってしまうと、私の理解をはるかに超えてしまいます。ましてや、株のように売り買いもできるなんて、投機そのものじゃないですか。それで坂本は595万円を手にしました。このような金額を入手するのに意味があるのでしょうか(たとえ寄付するにしても)。
たとえば、100億円の資産の95%を失っても、本人の心理負担を考えずに客観的にみれば、5億円残るから十分じゃないの、と思ってしまいます。これから類推して、595万円が坂本にとって、どれくらいの価値なのでしょうか。
この記事は以下のように結んでいます。
レコード誕生以降の音楽は、複製を前提とするがゆえに安価で購入できるようになり、市民に開かれた芸術として成長してきた。だが、今後、複製とは対置概念と言える「1点もの」「限定品」に価値が置かれ、価格が高騰するNFTによる作品リリースが主流になった場合、ごく一部の富裕層しか享受できない作品が増える可能性もある。アーティストに多くの利益が渡るシステム自体は画期的でポジティブなことだが、現時点ではまだ手放しでの歓迎はできない。(定塚遼)
まさにバーチャルな世界ですね。