サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

『ヴァギナ』ナオミ・ウルフ 2

今では流通していないだろうが、関西では女性性器のことを「オメコ」とよんでいた。そして性行為も「オメコする」「オメコさせる」などと自動・受動の動詞活用形に変換して通用させていた。これに対して性行為は女性性器を持つものへのレイプに近い視線があるとの批判はわかりやすい。しかし「オメコ」とはどこの部位を指していうのかとなれば「エッ、いやそれは」と戸惑ってしまう。それは女性の身体に属してはいるが両性にとって客体化されたもので、積極的であれ消極的であれ、それへの関心が性的な状態を想起させる「フェティッシュ」としてあり、解剖学的な部位ではないのだろう。

ヴァギナは医学的には膣口になるそうだが、著者は陰唇からクリトリス、子宮頸部を含めた女性性器全体を表すために使う、としている。女性はそのヴァギナによって肉体的だけではなく精神的にも充足感をえられることが起こりうる、ということはすでに述べた。まるでそれが当人の内部から湧き上がるかのように。しかしそれゆえに傷つきやすくもある、と著者は語る。

          …引用…
 ヴァギナで感じる素晴らしいセックスが女性の脳に悦びと想像力をわき起こさせるように、同じ神経経路のせいでその逆のことも起こる。すなわちトラウマを負わされたヴァギナ、虐待されたヴァギナ、神経網の一部が敏感な部分でありながら、素っ気ないパートナーや自分勝手なパートナーにやさしくしてもらえないヴァギナだ。そんなヴァギナは、女性の脳に自身や勇気や絆や悦びをもたらす化学物質を整えてやることが、比喩でなく本当にできないのである。
 だから女性を征服して従順にさせたいなら、拘束したり閉じ込めたりせずとも、女が「自分からそうする」ようにさせたいなら――みずからを抑制し、悦びも自主性も放棄して、愛の力を信じず、人との絆などろくでもないものだと思わせたいなら――ヴァギナを標的とするのが手っとり早い。
                         (一〇四頁)
                         
ここで言われている化学物質とは、ドーパミンオキシトシンを指しており、それらが分泌されることで悦び(快楽とそれにともなう多幸感という含意があるのだろうか)がえられる、という化学反応的説明だ。本書はそれをもたらす契機としての器官としてヴァギナをとりあげているが、それには適切な神経回路の伝達が必要らしい。そしてそれが阻害されることで、肯定的態度で生へ向かうことが困難になるという。ドーパミンなどは「快感回路――なぜ気持ちいのか なぜやめられないのか」(デイヴィッド・J・リンデン)を生じさせるが、それが失われることでの人格などの生きることへの態度まで影響があると、生理現象のような説明だ。しかし生理現象といい化学的反応といったが、これは試験管の中での反応ではない。人体に起こる反応なのだ。これを尿意という卑近な例にたとえてみれば、同じような状況下で8時から水分を取らずに尿意に関係なく1時間ごとに排尿する。そして12時に水分を1リットル水分を補給したあと、座っているだけの時と集中して何かに取り組んでいる時との尿意の感じ方が全く異なるように、人体における化学的反応は他の要因によって大きく左右される。

ではなぜ、ヴァギナを経由して女性はドーパミンなどの分泌が活性化されやすい(とされている)のだろうか。私見ではあるが、メスでもある女性には子宮があり、そこで受精卵から細胞分裂を繰り返し「卵」は成長してゆく。しかしそれにはヴァギナでの性交を経なければならず、そして胎児がヴァギナを経由することで出産となる。出産に伴う(生命にかかわるような)苦痛とその後の多幸感は想像できないがよく話に聞く。その苦痛を緩和し、多幸感をもたらすためにそれらの化学的物質が分泌されやすくなったのでは?

性交といい出産といい「他」にさらされる状態であり、危機に敏感なのは十分納得できる。それが、そのヴァギナが「良く」か「悪く」で接せられるかで肉体・精神的反応が逆転してしまうのだろう。

そして多くの場合、悪く「扱われ」ているという指摘は、自身を振り返ってみても「そうなのかも」と思うことがある。そこから著者はフェミニズム的な解釈を導く。
                          
          …引用…
 ……ヴァギナと骨盤神経の負った傷やトラウマは、神経回路がこれらの酔わせるような化学物質を脳に運ぶのを物理的に妨げるのだろうか。だとすると、もう一つの構図が見えてくる。ヴァギナが数千年も前から標的にされてきた理由はそこにあるのかということだ。意識的な戦術だったとは言い切れないが、効果的だったために、数千年を経るうちに意図せずして定着したのではないか。人間の半数を抑圧して支配するのは難しい。ヴァギナへの攻撃がそのための有効な道具として発見されたのだったら?
                         (一〇五~六頁)

と、著者は推測のように述べているが、納得のゆく説明だ。「抑圧・支配」などと強い言葉を使わなくても、暗黙の了解事項として黙認され共犯的に「〈性〉なる家族」(信田さよ子)形成し(成就はされない)つつある。


読み返してみましても、支離滅裂でひどい文章だと思います。手に余るようなテーマだったかな、と反省。何らか機会で再利用したいと思っています。
(この稿まだ続く予定)