なぜ年を取ると一年は短いの?
昔からよく聞いていた話ですが、つい先日にも耳にした。
なぜ大人になると時間が早く過ぎるようになるのか。
という疑問についてですが、
三歳の子供にとって、一年はこれまで生きてきた全人生の三分の一であるのに対し、三〇歳の大人にとっては三〇分の一だから――。
このような説明には「働くというのは、ハタを楽にすることだ」などと同じような「こじ付け」でしかなく、「うさん臭さを」感じていました。そこには柄谷行人がかつて述べていた「教えるものの立場は、教えられるものに認められることによって成り立っている」という「教える立場の不安定さ」へのセンスが欠けているように思われてなりません。
では何故「うさん臭さ」をなぜ感じるのかといいますと、「なぜ大人になると時間が早く過ぎるようになるのか」という疑問に理屈だけを根拠にして、経験という個別的なものを一般化しているように思えるのです。よくある自分の経験を普遍的なものと勘違いして(成功への)教訓へと変換しているようなものです。経験はあくまで個人に属するものであって、検証や共有できるものではありません。
かつて『新版動的平衡』で、福岡伸一が「体内時計」から説明されていました。
少し長くなりますが引用します。
…つまりタンパク質の新陳代謝速度が、体内時計の秒針なのである。
そしてもう一つの厳然たる事実は、私たちの新陳代謝速度は加齢とともに確実に遅くなっているということである。つまり体内時計は徐々にゆっくりと回ることになる。
さてここから先がさらに重要なポイントである。タンパク質の代謝回転が遅くなり、その結果、一年の感じ方は徐々に長くなっていく。にもかかわらず、実際の物理的な時間はいつでも同じスピードで過ぎていく。
だから?だからこそ、自分ではまだ一年なんて経っているとは全然思えない、自分としては半年くらいが経過したかなーと思った、そのときには、すでに実際の一年が過ぎ去ってしまっているのだ。そして私たちは愕然とすることになる。
説得力のある説明です。