サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

古井由吉

どういう話の流れでそうなったのかは思い出せないが、「現役の小説家では誰に思い入れがあるか」と話が振られたことがあった。しばらく考えて、「川上弘美角田光代諸田玲子…」と言ってつまってしまった。次々と名前は思い浮かぶが、それが女流作家ばかりなのに気がついて驚いたからだ。その場でその後どういう話に広がったのか、「フーン、そうなの」ですんでしまっただけのことなのかは憶えていないが、女流作家ばかりが思い浮かんだ、ということだけが印象に残っていた。時々そのことを思い出すことがあって、ある時ふと「古井由吉」という小説家がいるからなのかと頭にひらめいた。それにはどういう因果関係があるのかは説明できないし、こじつけにすぎないかもしれないが、自分自身では納得できるものだった。

 

古井由吉は二月十八日に肝細胞癌で亡くなった。享年八十二歳であった。「現代文学の極北」などとの形容もあったと記憶している。それは「孤高の」といった意味合いであろうが、それがどういうことなのかよくわからない。私にとってはとにかく読むのに時間のかかる作品を書く小説家だ。

 

はじめて読んだのは、新潮文庫の『杳子・妻隠』。三十年以上前になるだろう、何度か読んだと記憶する。ストーリーは忘れてしまったが、忘れられないシーンが『杳子』にある。

 

杳子(ようこ・くらいこ)は精神を病んでいる女子学生。その彼女が自宅でしばらく病にとらわれていたのであろうか、そこへ主人公が訪れる。彼女の部屋で見舞っているときに彼女の姉がお茶か何かを持ってきてテーブルにおいて去ってゆく。それをじっと見つめていた杳子が、姉の置いたものとテーブルのラインとの規則正しさを指摘する。それを意識してしまう杳子と無意識におこなってしまう姉。杳子も姉も同じ病にとらわれているのか、はたまたそれを共有しているのか。ここだけが記憶にある。もう一度読みたいが、たぶんどれかの段ボール箱にしまわれているのだろうから探すよりは再度購入、予定。

 

もう一つの話。本当に古井の作品であったのかさえ分からない。ある時、「古井の作品にこういう挿話があったっけ(彼の作品には連作で形成されるものが多い)」と妄想に近いような感覚でよみがえってきた。そのように想起させるものが「古井由吉」の作品を読むという営為に含まれている、ということなのであろう

夫婦二人で生活しており、妻は朝から勤めに出かけ、夫は夜勤というすれ違いの生活をしている。夫は帰宅しそして食事、たまにセックスもあったかもしれない。そして妻は出勤し、妻の名残が残る彼女の寝ていた布団に潜り込み、不在の妻を感じながらまどろみへと落ち込んでゆく。なんという濃厚な性=生。