サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

杉田発言

 『新潮45』8月号に、杉田水脈衆議院議員の『「LGBT]支援の度が過ぎる」という記事が掲載され、そこで「LGBTは『生産性』がないので支援する必要はない」などとした発言が波紋を呼び続けている。その記事について、タイトルと伝聞しか目にしていないので、触れることはできないが、弱者や少数者への配慮が欠如しているのであろう、との印象を持つ。そして、弱者が多数の側にあったり、少数者の側に強者があるということが多々ある、ということに思い至らないのであろう。
 この報道に触れて、古谷経衡『日本を蝕む「極論」の正体』の記述が示唆に富む。
 
 
     ―――引用―――
 本書で、繰り返し繰り返し、極論は「外部からの監視や点検がなく、競争のない閉鎖的な空間」から生まれる、と書いた。(…略…)極論をいう人々は、自分たちの主張は正しいと信じているが、一方で心の奥底では自分たちはマイノリティであり、ひょっとしたらおかしな集団なのかもしれない、という恐れを持っている。
 (…略…)心のどこかに疚《やま》しさがあるから、極論を叫ぶ人は壊れた拡声器のように極論を叫び続け、極論に搦《から》め捕られるのだ。
 だから彼らは、自分たちの極論に同調してくれる人間をすぐに「仲間」とか「同志」とか言って歓迎する。実は、己の正当性を承認してくれる他者を求めているのだ。
 
 
 最近の「お友達~」という風潮についても納得のいく説明であると思う。「仲間」うちで論じていた内容を公表してしまい、それから、炎上。というだけの出来事でしかなく、帰属するお仲間グループでは健在、という事態のほうがおぞましい。そして、このような批判を締め出すグループは数多くあるのでは?