サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

L.G.B.T

 引き続き、杉田水脈論文で考えさせられたことについて。
 この論文が批判されたのは、「LGBT」には生産性がない、という主張にあるのだろう。この「生産性」という判断基準が問題視されているらしい。しかし、バイセクシャルヘテロセクシャル異性愛者)と「生産可能性」という点で何ら変わりはない。逆に、カップルとしてとらえるなら、ヘテロであっても避妊に努めていれば、生産性はない。
 また「生産性」重視の考え方では、「不妊症」はどうなるのか。肉体的要素と精神的要素の違いだけになってしまうのでは。
 常時発情可能な人類にとって、セックスは概念としては「子孫を残すこと」を第一の意義としてあるのだろうが、セックスをする場合に「さあ、子どもをつくるぞ」との意気込みだけでは気分がなえてしまう。
 そもそもLGBTにHを加えて、それらは性的志向という幻想に起因する要素が大きいわけであり、前者と後者のの違いは「少数者か多数者か」というところにしかない。生産性を求めるならば、あえてその「志向」に逆らってまで、「生産可能性」実行することも考えられる。
 それはさておき、何より違和感を感じるのは「LGBT」という呼称だ。これはただ性的少数者という概念を提示しているにすぎない。L・G・B・Tというその各々のあり方は無視され、少数者という点だけが強調されているような印象を持ってしまう。
 レズもゲイもバイセクシュアルもトランスジェンダーも自分たちに対する偏見と闘い、生きやすい社会の実現を訴えるのは正当な権利であり、その実現に向け共闘するのも有効な手段だ。しかしそれは各々の立場から発信されるのを前提にすべきであって、「LGBT」からのものであってはならない。
 生むことだけが生産性であり、育てることはそうとみなさないのだろうか。