サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

英語は分からないのです

 今更なのですが、小学生三年生から英語教育がなされているのに、疑問を持っています。

 かつて二十代前半ぐらいまでは、英語は使えていました。その後は、零細企業に勤めていて、人付き合いもあまり好きじゃないので、いつの間にか使えなくなってしまっていました(三十年以上使っていなかったから、できなくなって当然です)。

 それはさておき、日本人が英語ができないのは、読み書きや文法中心の教育であるからだ、などといわれていますが、本当でしょうか。読む量の少なさに問題があるのでは、と思っています。私の場合ですが、春・夏・冬の休みには英語で小説を読んでいましたし、小学六年生の頃よりロック(とくにイギリスの)を好んで聴いていて、レコードを借りては歌詞を憶えていました。英語で小説を、などというと敷居が高そうですが、今もあるかは知りませんが、見開きの左ページに英語を右ページに日本語訳で構成されている便利な本があって、さほど辞書に頼らなくても通読ができたのです。時間があるからこそできたのですね。

 先ほども述べましたが、社会人になってからは、英語に触れる機会が全くといっていいくらいなかったので、自然と忘れてしまったのでしょう。いつだったか、ふと英語の本を開けてみたところ、ほとんどの単語の意味が分からない、という有り様でした。それを思い出したためか、一念発起、今月から英語学習を始めました(最近は便利ですね、本にはCDが付属していて発音までカバーできます)。そしてすぐに、壁がありました。

 たとえば、You seem tired.(あなたは疲れて見える)という文章がありますね。「あなた」が主語で「見える」が動詞、「疲れて」はあなたの状態の説明だから補語になります。SVCの構文ですね。英語ならそれでいいのかもしれませんが、日本語では不自然です。英語の文法を日本語に当てはめているだけです。

 「見える」という述語の主語が「あなた」というのはおかしいのではないでしょうか。この状況を分析(というほどでもないですが)すると、「あなた」がそこにいて、それを見かけた私には「疲れて見える」、という場面です。なぜ「あなた」が主語になるのでしょうか。あえて主語をおいて文章にすると、「私はあなたが疲れていると見える」、とならなければおかしいのでは?私の理解では、行為の主体が主語だと思うので、「私」が主語、「見える」が述語、「あなたが疲れている」が目的語(というのでしょうか)というのが正確だと思われます。だけど、こんな日本語使いませんよね。主語はいらないのです。そういえば『日本語に主語はいらない』(金谷武洋)という本がありました。未読ですが、書名だけからでも大きな示唆を受けています。

 英語話者にとっては”you”が主語であることが本当に自然なのでしょうか。それが本当ならば、英語は日本語とかけ離れたものであり、いつまでたっても「分からない」ものではないでしょうか。この”you”が主語であるという文法というか認識は、理解できるものであるとは思えません。そのようなものを、日本語の文章力が十分でない子どもたちに一律に学ばせる必要はなく、害がある、とさえ思います。

 と、このようなことを、音楽雑誌「ロッキングオン」の特異なライターであった岩谷宏が著書『僕らに英語が分からない本当の理由』で述べていなかったっけ、と頭をよぎりました。何十年か前のことで、その本もどこにあるか不明だから記憶だけで、そのようなことが書かれていたのか分かりませんが。