サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

親鸞についての素描

 法然といえば、続いて出てくるのはその弟子親鸞になります。その仏教思想はさておき、彼の生きざまにも興味をそそられます。そのあたりを素描してゆきます。

 親鸞(1173~1263)は、その実在が疑われていた時代もあったぐらいですから、その実像はあまり知られていない、ようです。よく知られていることを、ごく一部、年表的に列挙してゆきます。

 一一八一年、後に天台座主となる慈円のもとで得度し、比叡山に入山します。比叡山といえば、僧兵なるものが有名で、武蔵坊弁慶比叡山の僧兵である、との設定になっています。にもかかわらず、学僧の場としての機能も、確固たるものだったのでしょう。でなければ、親鸞をはじめとして、法然道元日蓮などを輩出することはできません。

 一二〇一年、比叡山を下山し、六角堂で百日参籠を行い、法然への入門を決意します。

 一二〇七年、承元の法難《じょうげんのほうなん》により、法然は土佐へ、親鸞は越後へと流罪になります。直接に師事したのはこの六年間だけですが、『選択本願念仏集』の書写を許されるまでになります。

 実体験として、転機になるような重要な出来事はこれくらいかもしれません。あとは、伝道とかに類するもので、思想内容にかかわることでしょう。上記の年代をもとにラフなスケッチを試みます。

 親鸞比叡山にあったのは二〇年にも及び、その間に様々な経典に触れ、様々な行をおこなったことでしょう。そして、「悟れないことを悟り」、「煩悩具足の凡夫でしかない自分」を見出したのかもしれません。出家などできないのでは、と不安に駆られ、方向性を見失って悩み、そこで下山し、六角堂で百日参籠に入りました。この六角堂は親鸞が敬っている聖徳太子の建立《こんりゅう》とされています。さて、百日参籠の九十五日目に「女犯偈《にょぼんげ》」という夢告を受けます。

 「行者よ、もしあなたが宿報によって女犯の罪を犯さずにおれないならば、救世観音の私が玉のような女性となってあなたに犯されましょう。(そして観音の力で、あなたの犯した「罪」を浄土に往生する「徳」に転じてあげましょう。つまり、)私は一生あなたに連れ添い、あなたの人生を意味あるものにしてあげます。そして人生の終わりに臨んでは、あなたを引導して阿弥陀如来のまします極楽浄土に生まれさせてあげます。(決して女犯の罪により地獄に堕ちると恐れてはなりません)」。
   響流山勝福寺《こうるざんしょうふくじ》ホームページ

 という内容です。すごい内容ですね。煩悩がそのままで昇華される、という意味でしょうか。これにより浄土真宗では妻帯し子を持つことが、ありがたいことされたのでしょう。易行と合わせて、婚姻と子によるネットワーク的なものを介して信仰が広まった、と島田裕巳(だったと思います)は述べていました。

 また六角堂では、夢に聖徳太子があらわれ、「東山の吉水にいる法然のもとへ行き、その教えを聞け」という夢告を受け、法然のもとへはしった、とされています。そして生涯、法然の弟子である、という想いが揺らぐことはありませんでした。

 そこに〈承元の法難〉という事態が起こります。法然は念仏のみを重視する立場でしたから、弟子たちの中には「念仏さえしてればよい」と他宗派を難じるものがあらわれ、問題となり、法然は自戒の文書に弟子たちに署名させ、延暦寺へ届けます。それで治まるかにみえたのですが、後鳥羽上皇が熊野に参詣しているときに、弟子の安楽や住蓮などが念仏会を行い、そこには、後鳥羽上皇に仕える女官たちもいました。そしてそのうちの二名を出家させてしまうのです。そんな身分の人を勝手に得度してしまってはダメ、ということさえ分からないくらい人気に奢っていたのでしょう、彼らは死刑となり、法然と主だった弟子たちは流罪となってしまいました。

 法然親鸞の違いは「出家しているか、いないか」にあります。法然は出家人であり、凡夫を教えさとし、阿弥陀如来にすがって極楽浄土に往生できるよう、導いていました。一方、親鸞は出家せず俗身のままでした。つまり、凡夫として衆生と同じように救いを求めてるという道を選び、自ら念仏三昧の手本となろうとしていたようだ、と考えられます。それは、「弟子一人も持たず」という言葉に表れています。師――弟子という関係より、同じく念仏する者、としての自己規定が強かったのでしょう。また、妻帯を法然に認められ、煩悩にとらわれて「在る」ことを決意をし、恵信尼を妻としていることからもうかがわれます。

 最後に、親鸞は「妻帯肉食」を犯した破戒僧でもありますが、仏教では「妻帯」は、煩悩の原因とされているので禁じられていますが、「肉食」は、お布施にたよって、世間に生を預けていたゴータマ・ブッダの仏教では、お布施でいただいたものは、ありがたく受け取っていたのだろうから、特に肉食が禁じられてというわけではないでしょう。