サンガの寅さん

中学生が理解、批判できる、をモットーとしていますが、記事が健全な中学生には、不適切な内容のこと、もあります

ロンドンパンク HERE'S THE sex pisTOLS

コロナ禍での自粛生活がつづく中、若いころに聴きこんでいた「ロンドンパンク」に触発されてから、関心を持つようになったさまざまなCDを購入するようになった。三密を敬遠し、自粛しているため、三密の要素の大きいロックミュージックの中でも、特に濃厚な時代のものに再会することで、現実での欠落のバランスを取ろうとしているのでしょうかね。

その「パンク」の起源ですが、ストーンズとかザ・フーにまでさかのぼるものや、ベルベット・アンダーグランド、T.REXイギー・ポップの影響からのものという見方もあるようですが、パティ・スミス、テレビジョン、ラモーンズなどのニューヨークのシーンから風向きが変わりだした、ように思う。

余談ですが、ミュージックプレイヤーはMusicBeeを使用しており、驚いたことにパティスミスグループ「イースター」を取り込んだら曲情報が入手できない。それほどマイナーなのだろうか。マイナー過ぎて入手できないと思っていたものでもすぐに表示されるものもあるし……。

で、本題のロンドンパンクは、ニューヨークに渡りニューヨーク・ドールズのマネージャーをしていたマルコム・マクラーレンが帰国し、デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドとロンドンで「SEX」というブティックを開き、そこに集まる者たちから広がり始めた、とされているようです。ということは、始まりにおいて、ファッション的要素が大きく影響していたのでしょうか。それが1976年、75年かもしれない。噂というか情報ばかりが先行していて、SEX PISTOLSなどという問題児バンドがあって……、などと期待が膨らむばかり。そして、1976年9月20.21日にわたってロンドンの100クラブでPunkとかかげたコンサートが開かれ、大きな影響を持つようになる(誕生日であるので日付は記憶している)。動き出してしまえばはるかに乗り越えられてしまったが、生成の場ではThe great rock'n roll swindleたるマルコム・マクラーレンのプロモートとプロデュースによる影響が大きいように思っている。

期待のセックス・ピストルズですが、トラブルばかり巻き起こし、メジャーデビューがままならない。そんな中、ダムドというバンドがメジャーデビューとなった(知人にレコードを借りて聴いたように思うが、印象には残らなかったみたい)。ほどなくしてピストルズもレコードデビューするが、その待っている時間がとても長く感じられたと記憶している。

そのロンドンパンクを代表するものは先述のピストルズ、ダムドをはじめ、クラッシュ、ストラングラーズ、ジャムあたりでしょうが、ストラングラーズはインテリでアートっぽく、ニューヨークのそれを引き継いでいるような印象で、ベーシストのジャン・ジャック・バーネルが三島由紀夫に心酔していて、その影響で本など読まなそうな友人が文庫本を読んでいた、のを思い出します。ジャムはモッズなどの系譜を引き継いだ良質な音楽で、それがパンクシーン中でたちあらわれた、という位置づけだろう。当時はそれを含めて「パンク」と、ひとまとめにして同質にあつかっていたように思う。

今から振り返れば、厳密に「パンク」であったのは、ピストルズとクラッシュのみであったように思う(ダムドに関しては、アルバムジャケット以外は記憶にはないので評価できません)。それは今とは違ったものであるが、当時も続いていたイギリス社会に顕著な身分固定社会への「否」を突き付けるものであったように今では思う。クラッシュは無視されていた身分のものであることに寄り添い、そのことへの矜持をもっていた。ピストルズは体制への異議だけではなく、それに甘んじ加担する同胞たちへ冷水を浴びせた。彼らは「非体制」であること(反対性を訴えるのではない)を示してくれた。そしてそれが、今まで世の中に認知されていない、下層として影であるかのような若者たちに熱狂的に受け入れられた。

それは、今までのミュージシャンとそのファンとの熱狂とは異なる。反体制を歌い上げ、プロテストするアジテーションで共感の熱狂を生む、のでもない。それらの熱狂はマルクスのいう「苦悩する民衆のアヘン」という役割以上のものではない。しかしピストルズとクラッシュは、私たちが、いかに悲惨な状況にあるかを示してくれた。そして私たちはそれに熱狂することで大人たち(およびその予備軍)に白い目でみられていることに存在意義を見出し、それに肯定的であれた。しかしそれは瞬発的なもので、継続、発展してはいない。

パンク=反社会的と思われがちだが、オーバードーズを繰り返すシド・ビシャス以外に反社会的であったという記憶はない。彼らは理知的であって、決して暴力的ではなかった。ただそれまでとは異質であり過ぎた。(反社会的というならば、60年代から引き継いでいるもののほうが反社会的であるように思う。それがグラムロックの登場で古臭いものとなった。パフォーマンス、イメージを重視する表現へ)

だがその影響下、ニューウェーブというそれまでのポップス業界での文法破りのようなムーブメントを生まれてくる。たとえば、ピストルズの親衛隊でのカリスマであったようなスージー・スー、ブティック「SEX」で働きながら音楽評論をしていたクリッシー・ハインド、彼女たちをはじめ、ミュージシャンが第一義であるところの、多くの女性ミュージシャンが登場している。女性のミュージシャンではなく、ミュージシャンである女性、です。そして今までなら、デビューなど考えもつかなかったような音楽がデビューしてゆくようになった。

まさか40年もたってから再び心揺り動かされるとは、頭の隅にもなかった。

当時の状況はリアルタイムで知っているか、後からの知識であるかがはっきりしない(といっても、数カ月であろうほどの誤差だろう)という脈絡が不分明であり、事実事項を検証していないので、誤認もあるかもしれない。まぁ、40年前に夢中になった者による胸いっぱいの思い入れをこめた再評価、と温かく受け入れてもらえれば、ありがたい、です。

ちなみに、私の持っているセックス・ピストルズのCD「勝手にしやがれ」は95年発売の東芝EMI、というジョークのような落ち。確かバージンの日本販売は日本コロンビアではなかったかな?